宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

介護と生活をデザインすること

 ひたちなか市議選も選挙期間は残すところ今日一日になりました。でも意外なほど静かです。地域が大きくて、選挙カーが回りきれないということもあるのでしょう。明日は投票日。25名定員に30名が立候補しています。現職は22名ですが、もちろん現職だから当選するとは限らないので、結構厳しい闘いのようです。

 ところで、介護施設に入っている人は投票するのでしょうか。これはなかなか難しいようです。自分で動ける人は、期日前投票に行ったりすることもできますが、それ以外の人の場合、スタッフが連れて行かなければならないし、自分で文字を書けない人もいます。施設で暮らす人の場合、必ずしも市内に在住していた人とは限りません。認知症状を発症していなくても、高齢期になって住む場所を移動した人は、その地になじみがないし、情報も入りにくく、誰に投票するか判断がつかない。投票というそれほど自分の生活に直接的影響が出ないものに関しては、特に理解と判断は難しいです。

 自分の日々の生活に関しても、住む場所を変えることは、高齢期には認知症を加速させると言われます。住む場所を変えるということは、生活の在り様がカオス状態になることを意味します。一見生活に必要な衣食住が確保され、後は好きなことをやればいいだけだから、楽で安心・安全ではないかと思われます。

 しかし、生活というのは単に生理的欲求(Physiological needs)を満たしたり、安全・安心を確保する欲求(Safety needs)だけで成り立っているわけではありません。この安全欲求というのは、安全性・経済的安定性・良い健康状態・良い暮らしの水準・事故の防止や保障の強固さなど、秩序だった状態への欲求です。これら基本的欲求が満たされたら、自分が必要とされる場所や人間関係を求めます。これは社会的欲求/愛と所属欲求(Social needs / Love and belonging)と言われます。ここに問題を抱えると孤独感や社会的不安、鬱状態が出てきたりします。

 更に、承認される場所や関係が必要であり、そういう中で、自分がやりたいこと、自分が充実感を感じることをやることで、生きがいを感じます。後者が自己実現の欲求(Slf-actualization)、前者が承認欲求(Esteem)です。承認欲求には2段階があります。他者からの高い評価や地位・名声・利権・注目を得ることで満たされる低いレベルと、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感などの自己評価が重視される高いレベルです。ここまでの欲求が満たされても、私たちは自分の持つ能力や可能性を最大限発揮して、自分らしく生きたいという欲求があります。社会的欲求や承認欲求を飛び超えて、自己実現を目指すこともあります。その典型的な在り方は、役者や作家やミュージシャンを目指す若者などに見られます。

 マズローは最初の4つの欲求を欠乏欲求(Deficiency-needs)、自己実現欲求を存在欲求(Being-needs)と分けることもあるようです。この自己実現を果たした人は少なく、更に晩年に提示した、自己実現欲求より高次の「自己超越欲求」を実現する者は極めてまれだと言われます。多くの人が階段を踏み外したとも。

 社会的に一線から退いた人は、第1・第2の基本的欲求が満たされていても、関係性や社会的居場所に空白ができます。そこから生まれていた評価もなくなることで、承認欲求も満たされなくなります。一般に、定年後の難しさが言われるのはここの部分から生じます。私たちは、ボランティアへの参加や地域の人間関係の構築、新しい分野への挑戦や趣味の充実などを通じて、この問題と折り合いを付けていきます。

 施設介護の難しさは、おそらくこのマズロー流の第3次以上の欲求充足、社会的関係性の構築に課題を抱えるせいだと思います。これらの欲求は生きることの自発性を生みだすものです。これらの欲求が充足される道を見付け出さないと、生きる意欲が減退していきます。つまり、各自が自分の生活をデザインすること、それを援助すること、ここが施設介護が充実するかどうかのポイントだと思います。人はおそらく幾つになっても、自己実現の疼きを自分の中に抱えているのでしょう。居宅介護においても、この援助・支援はポイントだと思います。

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