宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

ニーチェ解釈の歴史

 22日の朝方の地震、今日は11月の雪、とどうなっているんでしょうね。社会問題でも、トランプ次期アメリカ大統領をめぐって、メディアを通して不安感が伝わってきます。韓国の朴槿恵大統領をめぐる報道も、毎日どこかで取り上げられています。でも、南スーダンのニュースは目にしません。イギリスのEU離脱はその後どうなっているのでしょうか。

 ところで、ニーチェの妹が編纂を指示した『力への意志』「序言2」の冒頭には、ヨーロッパの「次の二世紀の歴史」を物語るという文章があります。通常一世紀の歴史を語るなら分かるけど、なんで二世紀なんだろう、と最初に読んだ時から引っかかっていました。その来るべきものとはニヒリズムなのですが、ここの部分は、M・モンティナーリ編集の遺稿集によると、1888年に書かれたものです。ということは、21世紀後半にまで亘る歴史を語っていることになります。ニーチェの予言では、現在もニヒリズムを超克できていないことになりますが、当たっているなあと思います。

 ニーチェの遺稿集は1960年以来、イタリア人のコリとモンティナーリによって、<批判的・歴史的全集>として編纂・出版され、これがニーチェ全集の決定版とされています。これはグロイター版と言われます。妹が関わった遺稿集『権力への意志』(1901年版、1911年版)では、年代がバラバラにされ、書かれたものも切り取られたり、分断されたりしていて、ニーチェの意図が解釈しにくくなっていました。例えば、ニヒリズムに関するニーチェの考え方も、グロイター版が出て漸く見えてきました。

 ニーチェニヒリズムの定義は、「目標が欠けていること」です。「最高の諸価値が無価値になってしまうということ」とも言われます。もともとこの言葉は、キリスト教会に楯突く者、権威を否定し反抗する者への叱り言葉でした。そしてニーチェ自身が自分をニヒリストと提示したのは、ある一時期だけ、それもかなり限定的な意味でです。これについてはまた、改めて書きたいと思います。

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