宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

新古典派経済学の4つの基本テーゼ

 寒くはないのですが、お天気が悪く風も少しあります。桜の満開宣言がこの辺りでも出ているようですが、堪能しないうちに散ってしまわないか心配です。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)という有名な和歌があります。

 在原業平は『伊勢物語』の主人公と同一視される人ですが、825年に生まれています。平安時代始まりの頃に生まれました。平安時代は794年から鎌倉幕府成立(1192年)までの約400年弱続いた時代区分で、長いです。今から400年前は、なんと江戸時代初期。

 話がずれましたが、今、経済学関係の本を少しずつ読んでいます。分からない言葉が結構出てきます。経済学はアダム・スミス(1723-1790)とともに始まったと言われますが、近代経済学は、1870年代に3人の経済学者がそれぞれ独立に「限界効用理論」を提示したことで始まりました。「限界効用理論」というのは、今一つ分かりません。近代経済学は大きくマルクス経済学と新古典派経済学に分かれます。あるいは近代経済学は、マルクス経済学以外の経済学の総称とも言われます。

 この新古典派経済理論は4つの基本テーゼを持つそうです。まずは、高橋伸彰さんの論説(「経済学の貧困と経済の危機に関する一考察―宇沢弘文の思想に学ぶー」)を参考に、宇沢弘文さんの『近代経済学の再検討』(岩波新書)も参照しながらまとめてみました。

ⅰ)経済活動に必要な希少資源は私有、ⅱ)各経済主体は文化的・歴史的・社会的コンテクストから切り離された経済合理人として、自分の主観的価値基準に従って経済的利益を最大化するよう行動する(主観的価値基準の倫理性は問われない)、ⅲ)生産要素の可塑性(マレアビリティ)、ⅳ)各経済主体の利害は市場機構の調整によって解決される。

 ⅲ)とⅳ)を批判したのがジョン・メイナード・ケインズでした。ケインズは、アダム・スミスの見えざる手は前提条件が非現実的であるので間違っている、と批判しました。その結果、金融政策や財政政策を通して経済全体の有効需要を増やすことで、第2次世界大戦後25年近くは、少なくとも先進諸国での失業問題は顕在化しなかったと言われています。しかしⅰ)とⅱ)の問題にはあまり触れなかったと言われます。貧困や経済格差の問題を扱うには、ここを批判的に検討する必要があります。

 マレアビリティという言葉は、分かるようで分かりません。少しずれますが、石油の輸入先の問題をモーニングショーでやっていました。例えば、アラスカからの原油の輸入の難しさは、色々な要因があることが分かりました。積出港や海域の問題で大型タンカーが入れないこと、原油は成分比率が取れる地域で異なっていることなど、知らないことばかりでした。小型タンカーで運ぶことで割高になることや、国内の精製工場のシステムを変えなければならないので、それほど簡単ではないことなど。

 原油は基本同じと考えていたので、他の地域から持って来れるならそれで対処できるのでは、と簡単に思っていました。この話を聞きながら、マレアビリティの難しさとはこういう事かも、と思いました。転用可能性を前提に生産の問題を考えるのは、単純すぎるということでしょうね。ⅱ)の経済行動をする人を、端的に経済合理人と前提するのも無理があると感じます。人間を理性からのみ説明することが抽象的すぎることと同じに、短絡的だと思います。

                桃と桜

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