数量化とどう付き合うのか。「根拠ある~」がよく語られています。この根拠を示すとき、数値は説得力があります。でも、聞いている側は気を付ける必要があります。例えば、所得と貧困の相関関係は、当たり前とつい思います。でも、相関関係がないとはもちろん言いませんが、所得だけで貧困問題は見えてくるのでしょうか。
アマルティア・センは、HDIになぜ拘るのかとマブーブル・ハック(1998年死去)に問いかけた人です(二人は親友同士でした)。センはあるエッセイの中で、個人の自由を社会的コミットメントの問題と捉えています。例えば貧困の問題をどう捉えるのか。貧困を所得の低さ(資源〔分配〕の失敗)という観点から捉えるのか、あるいはまずまずの生活を送れる自由が十分でない(潜在能力capabilityの失敗)という見地から捉えるのか、ということです。
こういう現実があります。バングラデシュの住民よりもニューヨークのハーレム地区に住むアフリカ系アメリカ人の方が、40歳ないしそれ以上まで生きる公算が低い。ハーレムの一人当たりの所得の方がはるかに多いにもかかわらず。早すぎる死からの自由は、一般に高い所得によって促進されますが、他の多くの要因とも関わっています。公共のヘルス・ケア、医療保険、(初等)教育、社会的結束や調和などと。
またセンは、特に所得が低いわけではないが、所得の大半を腎臓透析に使ってしまう人を想定してこう言います。「その人が諸機能を価値あるやり方で発揮するために必要な自由、これがいま制限されている以上、その人は貧困に苦しんでいるとみなすことができよう」と。基本財や資源を潜在能力(ケイパビリティ)や自由に変えてゆく際の、一人ひとりの相違に注目する必要があります。また、貧困は絶対的貧困と相対的貧困に分けて考えられます。路上生活者が陥っているような絶対的貧困は理解されやすいのですが、「恥をかくことなく、人前に出る」ための水準は社会によっても、国によっても異なります。後者の相対的貧困は理解されにくく、見えにくい。多くの文脈で自尊心の基本的要件を満たすために必要な資源(例えば若い世代のスマホやパソコン)は、同じ社会の中でも世代によって評価が異なります。
さて、それぞれの目標を、一人ひとりが自由に追求するのを助けてくれる手段、それが基本財(所得、富、自由)です。この保有量を個人間で比較することと、一人ひとりが実際に享受している自由を比較すること、これは密接につながっていますが、同じ作業だとは言えないと言われます。
センは、個人の自由の達成度に着目点を置いています。そのためには、基本財や資源から、潜在能力(ケイパビリティ)や自由へと強調点を移動する必要があると論じます。彼は、『正義のアイデア』の中で、「人々の暮らしを直接見るのではなく、生活の手段だけを見ていては間違いを生じてしまう」と言います。人の暮らしに焦点を合わせるアプローチを、センはケイパビリティ・アプローチと呼びます。手段の必要性を否定したのではなく、手段を目的にしてはいけないと言っているのです。「満足のいく人間の暮らしのための手段は、良い生活の目的ではない」。どんな形であれ所得が増えれば、それで豊かになるとか幸せを手に入れられるということではない、という古来言われてきたことを現代の文脈の中で説得的に語っています。
ではケイパビリティとは何か。自分が賞賛する生き方を実現するための機能を達成する能力のことです。あるいはその機能の組み合わせを達成する能力のことです。例えば栄養状態がいいこと、健康であることは基本的な機能と考えて良いでしょう。多くの人が評価する機能に、コミュニティの生活に参加すること、職業に関連した技能を身につけること、そして自尊の達成などがあります。これらの組み合わせが諸個人の潜在能力(ケイパビリティ)を規定します。個人の潜在能力を規定する要因には、社会の仕組みも含まれます。代表的なものが、初等教育、公衆衛生と伝染病対策です。
ケイパビリティ・アプローチは達成よりも機会に焦点を当てます。達成した機能にだけ注目すると、例えば飢えや栄養不良について、自発的に断食している人と飢饉の犠牲者との違いを捉えることができなくなります。ケイパビリティ・アプローチは、出来るけどやらないという選択肢も含めて評価し、対策を講じるかどうかを決めることができます。
数値は、そこから何を読むのか、どう使うのか、その哲学が問われます。「事象そのものへ」はフッサールの現象学の標語です。フッサールは、ともに生きられている時間と空間に、いわゆる客観的時間と空間が由来していることを明らかにしました。彼は感性の規則性を数量化によらず、それよりも厳密な方法で解明して、「生活世界」という問題領域を取り出しました。数値化、数量化という手法は、「誰か」が何かの目的のために「作り」だし、「使うもの」だということを、肝に銘じておきたいと思います。