宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『サヨナラの代わりに』:人は人と関わることで変わってゆく

 気になっていた映画『サヨナラの代わりに』(2014年)をビデオで見ました。主演はヒラリー・スワンク。裕福な生活をしていたケイトは、35歳でALS(筋委縮性側索硬化症)を発症します。1年半後、車いす生活になったケイトは、介護者から病人扱いされることに辟易して、夫の反対を押し切って、女子大生ベックを雇います。ベックは、何をやっても上手くゆかず、歌手になるという道にも今一歩踏み出せずにいます。この二人がそれまでの生き方(セレブなケイトvs.中途半端な生活をするベック)や性格(完璧主義のケイトvs.自由奔放なベック)の違いを乗り越えて、ぶつかりながらも信じ合い、支え合ってゆく姿が描かれていました。難病を抱えて生きることが、決してきれいごとではなく描かれていました。

 ALSは脊髄にある運動ニューロン神経細胞)が侵される病気です。運動ニューロンは身体を思い通りに動かす随意筋を支配しています。知覚神経や自律神経は侵されないので、感覚や知性は最後まで保たれています。ALSになると痛みの感覚はあっても、それに反応して自分の身体を動かせない状態になります。心臓や消化器は自律神経に支配されていますが、呼吸は自律神経と随意筋である呼吸筋の両方が関係します。最後は呼吸筋が弱くなって呼吸困難に陥って、死に至ります。

 この病気を発見したのは、フランスの神経科医J・M・シャルコー(1825-86)ですが、フロイトは1885年から86年にかけて、彼に師事して、ヒステリーに関心を持ちました。フロイトの主著の一つ『ヒステリー研究』は、1895年にブロイアーとの共著として書かれています。

 ALSは、通常発症から5年くらいで死に至りますが、英国の物理学者スティーブン・W・ホーキング博士(1943-)は、途中で進行がきわめて遅くなって、発症から50年以上生存しています。彼は一般相対性理論量子力学を結びつけた量子重力論を提示しています。サイエンスライターとしての才能も持っている人で、その著作は各国で翻訳されています。現代宇宙論に大きな影響を与え続けている人です。アメリカでは大リーグのルー・ゲーリック(1903-41)がこの病気で亡くなっていて、ルー・ゲ―リック病とも言われます。

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 映画に戻ると、死にゆくケイトがベックに、そのままのあなたを見つめてくれる人を見つけてと伝える部分、ベックがケイトに私を信じてくれてありがとうと伝える部分、そしてベックが歌い手として「雀が空に飛び立つ」と歌う最後の場面、感動的でした。人が変わるには、人と人が深く出あうことが必要なんだと感じさせられるドラマの一つです。

 アサーションの基本の考え方に、「他人と過去は変えられない」と言うのがあります。確かに「他人を変えること」はできないと思います。ただ人は良くも悪くも変わります。その人の命を輝かすような変わり方は、真摯に人と人が向き合うときに起こることも、事実だと思います。

 ヒラリー・スワンクの『フリーダム・ライターズ』もそういう映画でした。彼女が演じたエリン・グルーウェルは実在の教師で、その教育実践が注目された人です。ヒラリーは、底辺に生きる生徒たちの現実に向き合って、絶望的状況を少しでも希望へと歩みだせる状況へ変えようと苦闘する教師を演じていました。ヒラリー自身が苦労した人のようで、ヒューマン・ドラマを単に正論ドラマにしない力を持った女優だと思います。

介護ケアをシュタイナーの人間観から考える

 もうじき立春ですが、まだまだ風が冷たい毎日です。2、3日前に春の陽気が訪れました。ちょっと狂った季節という感じから、3月兎を思い出し、『不思議の国のアリス』にイメージが飛びました。

 ところで、芥川龍之介の短編に『河童』という作品があります。出だしは、どこか『不思議の国のアリス』を思わせます。主人公は気を失って、気づいたら河童の世界にいた。河童の世界は、人間の世界といろいろなことが逆さまです。例えば生まれてくる前に、胎児河童は「生まれてきたいか」と尋ねられます。生まれたくないと答えると、胎児は消えます。作品の中では、胎児河童は「河童的存在を悪いと信じているから」と生まれ出て来ることを拒否します。「生まれても結局死ぬ訳ですから、わざわざ生まれたくありません」なんて答えも想像できますね。

 人間は生まれたときから死に向かっているとも言われます。まあ、今のところ、死なない人間は見つかっていないので、いずれ寿命が尽きます。生まれてきた以上、私たちはみな死にゆく存在です。私たちは生まれてすぐにケアを受けて育ち、そして障がいを持ったり、高齢になるとケアを受けます。ここでは高齢者のケアの目標を考えてみたいと思います。

 まず育児や教育のケアは、「成長」を目標にしています。当然そこには、人間存在の意味や人生の意味が踏まえられています。ルドルフ・シュタイナー(1861-1925年)により創設されたシュタイナー教育は、その背景的なものに人智学を持っています。シュタイナー教育とは何かと言えば、身体と心の調和的発達によって「自我」を自由にしてゆく教育実践、と言っていいと思います。頭から入ったものは身体へ、身体から入ったものは頭へと言われるような教育実践をしています。それは自由な教育ではなく、「自由への教育」と言われます。高橋巌さんの『シュタイナー教育の方法』(角川選書)には、「シュタイナー教育とは何か」についてこう言われています。

「発達期に応じた身体と心の調和化によって社会における個人の自己実現を可能にしようとする教育思想、あるいは教育運動」(14頁)

 シュタイナー教育については、また別の時に触れることもあると思います。私自身は「自由への教育」という理念とそのユニークな教育実践に関心がありました。フォルメンとオイリュトミーは、20代の頃、講習会や勉強会で少しやってみましたが、踏み込んで向き合うところまでは行きませんでした。

 さてシュタイナーの人智学の中で老年期は、どう扱われているのか。シュタイナーは現代人は自分の魂の内的な発展の道を失ってしまった、と捉えます。かつては魂と肉体が深く結びついた状態の中で、それぞれの年代らしく発達出来た。ところが現代の私たちは、20歳くらいで、その関係が切り離されてしまう。20歳くらいですべて人生を学んだ気になってしまう。後は、肉体の衰えをただ悲観的に受け取るようになると言うのです。

 シュタイナーは自我、肉体、アストラル体、生命体(エーテル体)の4つを人間の本質部分と捉えます。そして、肉体は衰えても、他の3つは老化する一方ではなく、若返ることもできると言います。本来、人間の50歳以後は、見霊能力を発達させる時期だと言われますが、現代社会ではここが失われているし、この考え方自体も否定されていると思います。

 古代人は肉体の衰えと共に、魂は肉体の拘束から離れ始め、意識はますます明るくなっていく状態の中で老年期を迎えると言われます。ところが現代人は、10代後半には魂は肉体の拘束から離れ、肉体と共に年をとることができません。外側から老人になりつつあることを納得させられても、魂そのものは若い時と変わらない。以前なら、60代の人は60代にならなければ持てなかった成熟した魂を持っていました。

「老人特有の感性が発達してきて、死者との出会いがあったりしました。自分の魂が非常に軽やかになり、お祈りの仕方が深まり、欲がなくなるので、利己的にものを考えずに、客観的にものを考えることもできました」(高橋巌、同上書、204頁)

 現代において、心の若さということが、20代くらいの感性を持っている、と捉えられています。心あるいは魂が、身体から早くに切り離されることで、成熟することができなくなったからですが、では、その状況の中で逆に感受性をみずみずしいままに保つにはどうすればいいのか。介護ケアはここに関わっている気がします。

 私は死の瞬間に魂は身体から解放されると思っています。魂の不死をどう考えるかは哲学ではずっと問われてきました。魂の不死自体に関しては、私は不可知論ですが、ただ死の瞬間とは、魂だけになる瞬間だと考えています。身体の衰えのケアは、この魂だけになる瞬間を見届けるケアでもある、そういう風に考え始めました。

 

政治的抵抗

 抵抗と団結という言葉をよく聞きます。ここでの抵抗は、政治的抵抗と捉えて良いと思います。団結はその流れで読めばよく分かります。ローティは連帯という言葉を使います。連帯は、政治的場面でも使われますが、ドイツの生命倫理答申の報告書にもありました。

「連帯は隣人愛と同胞精神の思想,すなわち困窮する他者を救済し支援せよという訴えと密接に結びついている」(『ドイツ連邦議会審議会答申 人間の尊厳と遺伝子情報』46頁)

そして、連帯は労働運動の中で、連帯主義社会とか連帯主義的世界秩序という目標へと拡張されたと言われています。

 ローティの連帯の思想は、残酷さを減らしたいというリベラルな立場に基づきます。民主主義社会の成熟へ向けての、ローティのリベラル・アイロニストの思想は、理性的必然としてではなく、幸運なる歴史的偶然として展開されています。これについてはまた、改めて考えたいと思います。

 まず政治的抵抗とはどのようなものか。ジーン・シャープによると、非暴力闘争(抗議、非協力、そして介入)が挑戦的に、また活発に政治的目的に使われたものと言われます。独裁政権から政治機関を奪い返す目的で、政治的環境において非暴力闘争を繰り広げることを意味しています。単に非暴力闘争とか非暴力抵抗という場合は、もっと広い目的、社会・経済的目的とか心理的目的にも関連します。

 また政治的抵抗の思想は、調停・妥協・交渉を否定します。それは不可能であると。交渉は、妥協があってもよい場面では有効ですが、根源的問題が対象になる場面では、交渉は解決をもたらさないと言われます。宗教的原理とか、人間の自由、あるいは未来永劫における社会発展などが争点になるとき、これらをまともに擁護できるのは、民主化勢力側に力関係がシフトしたときだけです。この実現には闘争が必要であって、交渉は現実的ではないと言われています。もちろん非暴力闘争ですが。

 私たちの政治的状況は、独裁政権とは関係ない、そこまで酷くないように思えますが、本当のところはどうなのでしょうか。ウィンウィンの関係は好ましいですが、政治的権力が関わる場面では、市民と政治権力とのウィンウィンの関係はまずあり得ません。

 例えば、昨年末、地方自治を軽視するような最高裁決定が続きました。東京都国立市のマンション訴訟で、12月13日、上原公子元市長の上告が退けられ、3100万円の支払いが命じられました。この金額は遅延損害金(利子)が加わって、4500万円近くになります。辺野古移設問題でも、最高裁は弁論を開かず、上告審判決が12月20日に言い渡され、沖縄県の全面敗訴が確定しました。憲法第92条の地方自治の本旨最高裁はどう判断しているのでしょうか。

 地方の時代とは何なのか。私たちは自分たちの生存環境をどうやって整えていったらいいのでしょうか。出来る所から始めるしかありません。そしてそれはやはり、政治的抵抗の問題に、行き着く気がします。

認知行動療法

 認知行動療法について知り合いから聞かれました。以前に講師をしたアサーションに関するセミナー(女性プラザ男女共同参画支援室にて)で、少し触れたことがあります。セミナー出席者で、認知行動療法に関心をもっている方がいて、セミナーが終わってから、その話になりました。私の専門ではありませんが、少し考えてみたいと思います。

 認知行動療法というのは、神経症やノイローゼの人たちが感じる不安の治療技法として展開したものです。不安を生じさせる「感情の癖」を改め、解除する別の習慣へと再学習して訓練します。これらは最初行動療法で行なわれていました。それらはアルベルティとエモンズによって、アサーティブネス・トレーニングとして発展させられ、さらに万人の能力開発に展開しました。この行動療法は健康な人がより健康になるための教育的アプローチになり、それが認知の領域にまで拡がっていきました。これを最初に提言したのが、アルバート・エリスです。

 エリスは、論理療法の創始者です。論理療法とは簡単に言うと、刺激があって反応が生じるのでなく、刺激はそれを受けた人の考え方・信念を通過して反応を生み出す、ということです。例えば、誰かに嫌われたとします。嫌われるのは嬉しくはありませんが、そういうこともあると淡々と受け止めるか、ひどく落ち込んでしまうか、分かれます。これはその人の信念が影響しているからだということです。誰からも好かれなければならない、誰からも好かれたい、という信念を持つ人は、「あなたのこと嫌い」と言われれば、世界が終わったような気になるかもしれません。

 しかし、誰からも好かれたいという願望が、適うことはまずありません。自分のことを考えてみても、好きな人と苦手な人がいます。そう考えれば、お互い様です。苦手な人を無理に好きになる必要はないし、そういうものとして対応すればいいだけです。同じように、自分を好きになってくれる人もいれば、嫌いだと感じる人もいます。まあ、はっきり嫌いだ言われればショックですが。よく言うな、と思うしかないし、それで良いのではないでしょうか。他人は変えられませんから。自分に無理する必要もないし。

 というようなことが、論理療法です。単純化しすぎているかもしれませんが。エリスは、ビリーフ(信念)を合理的なラショナルビリーフと非合理的なイラショナルビリーフに分けます。ラショナルビリーフは、事実に即した、飛躍の無い、論理性の在る考え方で、自分や他人を支援する考え方です。これに対して、イラショナルビリーフは、反対の傾向を持ちます。妄想に近い考え方、事実を見ていない思いこみ、飛躍のある論理性のない考え方、自分や他人を否定するような考え方です。

 難しいのは、理想を掲げる場合です。でも、それが自分の生き方や他人の生き方、現実の社会を全面否定する場合は、イラショナルビリーフになっていると考えていいと思います。何のための理想なのかと言えば、今を少しでも良くするためであり、全面否定するためではないと思います。ただこの考え方は、非人間的な独裁体制への政治的抵抗の問題を考えるときには、当てはまらないので、注意が必要ですが。

急いではいけない

 認知症と明らかに分かる人と、一見分からない人といます。認知症と分かる人の場合、その反応のし方の、ある意味理不尽さにも、病気なんだからと了解できます。ただそうでない場合、おそらく本人には理由がある反応のし方に、こちらが傷つくことがあります。突然表情が変わって、ぷいっと席を立たれたりすると、驚きと同時にずしんと響くものがあります。

 その前の一連の流れを思い返すと、本人が納得いかないまま、分からないまま何かをさせられているという苛立ちなのかもしれないと思い当たりました。他の人に画面が見えるように、もう少し席を移動してほしいというこちら側の依頼も、なぜそれをさせられるのかが自分でははっきり分からないうちに、椅子を移動させられて、ということから来ていたのかもしれません。ゆっくり説明して、移動を納得してもらって、自分で動いてもらう、という手順が上手く行かなかった。急きたてられている感じがして、苛立ったのでしょう。

 映像が始まっていたので、こちらも急いでしまいました。でも、認知症状が出ているというのは、周りの状況を見て判断するというようなことが困難になっているわけですから、スケジュールを組むとき、目いっぱい時間を使う形にならないよう、よくよく考える必要があると感じました。

 訳の分からない反応への驚きは、こうして書きながら振り返ってみると、見えてくるものがありました。

「私」って誰?

 『ソフィーの世界』(ヨ―スタイン・ゴルデル)という哲学ファンタジーが、1995年に翻訳出版され、一時期、女子高生たちも電車の中で読んでいる、と話題になりました。その後映画化もされました。

 主人公のソフィー・アムンセンは、ある日不思議な手紙を受け取ります。「あなたはだれ?」。2通目の手紙は「世界はどこからきた?」。この二つの問いが、ソフィーを哲学の世界に誘います。

 私が私であることは何によっているのでしょうか。記憶?身体?免疫構造?それは「私」が何を意味するのかにもよります。時間と空間を別にする存在のまとまりということなら、身体や免疫構造が「私」の本質になります。

 西洋近代の主観主義は、デカルトの「われ思う、ゆえに、われあり」から始まりました。この「思うわれ」と「われの存在」は、同時です。この「われ」は身体を持ちません。ソフィーはまさにこの精神としての「われ」なのです。

 デカルトは、確実に存在するもの(真理)に到達するために、疑えるものをすべて疑います。そして到達したのが、疑うという行為を遂行している「われ」でした。すでに自分の身体も存在しないかもしれないと疑った後ですから、この「われ」は身体を持たない精神としての「われ」です。例え間違ったことを考えていても、考えている瞬間に考える「私」は存在する。ですから「ゆえに」は同時存在の「ゆえに」なのです。

 このデカルトの思想が心身二元論です。これはいろいろに批判されていますが、真理を意識の自明性に置いた点で、神学的世界観からの脱却(世俗化)の確かな地盤を与えました。私たちの常識は、「私」とは「身体的存在としての私」です。もちろんデカルトだって、自分の身体が存在しないと信じていた訳ではなく、疑おうと思えば疑えるでしょうと言ったわけです。こういう行為を「方法的懐疑」と言います。確実なものに到達するために方法とし、まずは疑えるものはすべて「疑う」ということです。

 この精神としての「私」は、世界を構成する主体、世界に居場所を持たない、世界から自由な存在です。ところで私たちが、「私って何なのだろう」と問う時、それは自分の居場所が不確定になっているから、あるいは居場所との違和感を感じるからではないでしょうか。その時、世界に居場所を持たない「私」の発見は、どういう意味を持つのでしょうか。

 しがらみや規則に縛られるとき、解放されたいと思います。しかし、しがらみも規則も、自分が受け入れるかどうかによってその効力を発揮すると気付くとき、確実だと思っていた足元が揺らぐ感じがします。それは解放であると同時に不安を呼び起こします。しがらみも規則も気持ち次第。もちろん、それらは現実に存在していますが、自分の気持ちをその拘束力から切り離すことは可能だと気づくとき、「私って誰?」という問いが切実さを帯びます。それは場所を失った「私」、浮遊する「私」と言っていいかもしれません。

 一般の人が求めているのは、絶対自由という意味の自由ではない、というようなことをバーリンが『二つの自由概念』の中で書いています。一般に人が求めるのは、承認されたいということではないかと。

 浮遊する私にとって、承認される場所というのは、現実に生きている私を感じられる場所なのでしょう。私探しとは、その意味で自分の居場所探しなのかもしれません。これは、おそらく幾つになっても、明確に意識するしないに関わらず、生きることの基本をなしている気がします。別の言い方をすれば、人は幾つになっても自分の居場所を求めて、新たな自分と出会えるということではないでしょうか。

 「私」というのはその意味で、場所(トポス)と一体化することで現実化する存在という気がします。内部へと問いを深めていけば、真の自分と出会えるというより、「場所」における現実の「私」を記述してゆく中で、「私」とその都度出会う。「『私』って誰?」への一つの答えがそこにある気がします。

介護施設と学校:近代施設における「管理」から

 デイ・サービスがいろいろな形で行われるようになっています。施設でのデイ・サービスは職員と利用者の織りなすサービス実践です。しかし、純粋に営利によるサービスではなく、介護保険制度が絡んでいます。利用者は端的にお客様、とは言いきれません。

 近代にたくさん作られた施設、工場や監獄、学校、病院などは、空間・時間そして身体の管理という原理によって貫かれています。空間の管理は分かり易いです。場所が区切られていますから。時間による管理に関しては、「遅刻」という概念の成立で理解できます。交通網の発達は、バラバラだった各都市間の時間の統一を意味します。鉄道の時間とは、大きな全国時計とも言えます。時間が統一されないと、鉄道は成り立ちません。近・現代は「時計化」する社会と言われています。「時間厳守」は近代人の規範となりました。

 工場が登場する前の資本主義社会以前(ほぼ農耕社会)では、時間は反復的に循環するものでした。反復するものなら、当然、経験の長い高齢者は尊敬の対象になります。しかし、資本主義社会では評価のベクトルは逆向きになります。なぜなら、資本主義社会は「投企」する、未来を企画する社会だからです。農耕社会におけるように、未来は循環して戻ってくるものではなく、「可能性」へ向けての挑戦になります。高齢者は出番を失います。

 ところで、そもそも学校の目的は何なのでしょうか。教育の場、とまずは言えます。かつては有用な国民の形成のためだったと思います。現代では、一人ひとりが社会に有用な存在となることで、各人が幸福になるための場、でしょうか。確かに、学校は、可能性に向けての準備期ではあります。しかし現状はどうか。「今の学校は、子どもの一時預かり所だ」と言った校長先生がいたそうです。

 介護施設は当然介護の場と言えます。介護とは何か。現在、介護は自立支援と言われています。本人の自己決定権を重視しなければならないと。しかし、自己決定権を言うのは、大変なことだと思います。本当に自己決定権を重視するなら、利用者本人や家族が、自分たちの望む施設や集まりを、話し合って作る必要があるのではないでしょうか。ただ、それが難しいのは分かります。

 問題の根っこに、学校も介護施設も、「地域社会で生きる」切実さから切り離されている、ということがある気がしてなりません。学校はまだ社会に出ていない準備期を、介護施設は社会から引退した時期を過ごす場所。今の社会は、これらの時期を社会のコアに組み込んでいません。社会のコアに組み込まれている時期とは、稼いでいる時期と言えるのではないでしょうか。市場経済社会に生きるとは、稼げること、稼げる時期をメインにしたライフスタイルを構成することになります。

 ところで、人間が生きているとは、社会的存在であるということだと思います。社会的存在である人間にとっての居場所とは、必要とされている場所でもあります。出来れば実践的に必要とされている場所、そういう居場所を人間は生きているかぎり探し続けるのではないでしょうか。

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