宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

新渡戸稲造@ある研究会にて

 昨日(28日)、東京の研究会に出席しました。発表者は『新渡戸稲造―人と思想』の著者森上優子さん。発表者含め11名のこじんまりとした会でしたが、質疑応答の時間も充実していました。

 新渡戸稲造(1862-1933)が今ちょっとしたブームだという話も出て、経営者に好まれる人のようです。彼が英語で書いた本『武士道』はルーズベルトが賞賛したとか。彼は日本の道徳教育はどこで行われているのかという質問への回答としてこの本を書いたということですが、明治期の武士道の捉え方は精神論的だという話にもなりました。時代によって武士の世界で重視されたものも違っています。鎌倉時代だと「恩と奉公」だし、江戸期の『葉隠れ』では戦闘集団の心構えだなあという話にもなりました。

 新渡戸は『修養』(1911)『世渡りの道』(1912)を出版しベストセラーになっています。心に思ったことは活動(実践)すべきであるという考えを持っていたようです。『実業之日本』にかなりの数の寄稿をしていて、この雑誌の主な読者層は、商店の店員や下級会社員など、当時のエリート層です。この雑誌は「代表的な成功の「教唆雑誌」」(竹内洋)と言われています。

 今また新渡戸の言葉が好まれているというのは、実業人が好きなタイプの道徳の言葉を語っていて、それは時代を越えて変わっていないということなのでしょうか。新渡戸自身はクリスチャンであり、アメリカ留学時代にクエーカー(神を感じて震える者)として認められた人です。「内なる光」の内在による人間の普遍平等性を信じ、実践する平和主義者でした。

 ピエール・フルキエの『哲学講義』の中に、「人類の大多数にとっては、宗教があればそれで十分である」という言葉があります。信者は宗教のうちに人生の指導原理を見い出すのだと。キリスト教圏から見たとき、日本人の精神的指導原理はどうなっているのか、不思議だったのでしょう。そう言えば、現代の私たちは何を精神(心)の支柱にしているのでしょうか。                           宮内寿子

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