宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

生命倫理と「死」の問題

 バイオエシックスの授業で、生命の始まりと終わりの問題を扱っています。生命の始まりに関しては、生殖補助技術の問題があります。人間の歴史上、体外受精という技術が出て来るまで、考える必要のなかった倫理的・法的な問題が生じました。この体外受精という技術がもたらした生命領域への影響の大きさは、人間の欲望とどう向き合うか真剣に考えざるを得なくなっています。それは、新しい「いのち」の誕生とどう向き合うかを問われているからです。この問題は、別に書きたいと思います。

 ここでは、「死」に焦点を当てます。生殖補助技術は今や生命操作の段階に入っています。いのちの始まりの「死」というと、中絶の問題が考えられますが、体外受精技術は着床前診断による胚の選別の問題を提起しています。出生前診断の技術も進展していて、妊婦さんの血液検査による新出生前診断が一般診療の段階に入った(『東京新聞』2018.3.4)という記事が出ていました。受診出来るのは35歳以上や、過去に染色体異常のある赤ちゃんを出産した妊婦さんに限定しているということです。診断が認められている対象はダウン症(21トリソミー)、13及び18トリソミーの3つです。新出生前診断の臨床研究は、51139人で実施され、933人が陽性でした。確定診断(羊水検査など)を受けたのは781人で、700人に異常が見つかり、654人が中絶をしています。確定診断を受けていない人たちもいますが、その人たちはどうしたのか。

 異常ありと確定診断が出ると、妊娠を継続する人は明らかに少ないです。ダウン症の親の団体からは、もっと社会全体で議論すべきとの批判も出ているとのこと。遺伝子診断に関しても、治療法の無い遺伝病の診断には難しいものがあります。私たちは、時期は確定できないが明らかに発症する、治療法の無い重篤な遺伝性疾患にどう対処すべきかわからないからです。ましてや生まれる前の子どもに関して、その子が明らかに障害を持っていると分かったとき、どうすべきか。生まれてから分かるのと、やはり異なっていると思います。

 生存しているときの「死」の問題というと、「脳死・臓器移植」があり、生命の終わり方をめぐっては、安楽死尊厳死の問題があります。「死」それ自体が大変な問題であるのに、ここに技術が絡んでの操作が問題になるのですから、複雑極まりない。宗教的文化的背景も関わってきます。日本人は宗教というと、あまり自覚していない人の方が多いのかもしれませんが、「死」に対する感受性はキリスト教文化圏とは異なっていると思います。「死」は恐れの対象であるより、悲しみの対象であるとも言われます。こういう問題も考える必要があります。

 

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