宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

救世主兄弟

 今日は朝、いきなり雨が降ってきました。その後はカラッと晴れて、暑い一日になりました。眼科検診の日で、待合室で2時間くらい待つ間、持っていった救世主兄弟の資料を読んでいました。

 遺伝子技術の進歩は、様々なことを可能にし、それと同時に社会的・倫理的問題が生じています。ヒトゲノムの塩基配列決定(シークエンシング)は国際的プロジェクトとして展開し、2003年4月14日に「国際ヒトゲノム計画」(日、米、英、仏、独、中国の24機関が参加)が解読完了を宣言しました。遺伝子地図(マッピング)の解析は続いています。1983年には、ハンチントン舞踏病デュシェンヌ型筋ジストロフィーの原因遺伝子の位置が確定されています。

 救世主兄弟とは、移植医療と生殖医療、および遺伝子技術が結び付いたことで出現した存在です。白血病などの治療として、免疫の型が同じ子どもを作って、兄弟・姉妹に骨髄などを移植します。兄や姉を救うために選ばれて生まれてくる存在を、救世主兄弟と呼びます。救世主兄弟は、ヒト白血球抗原のタイプが一致している存在です。ヒト白血球抗原は、父親と母親の型を一つずつ受け継ぐので、きょうだいで一致する確率は25%になります。このヒト白血球抗原は組み合わせのタイプが数万通りとも言われ、他人同士の間で一致する確率は数百から数万分の1と言われます。

 ヒト白血球抗原、HLAは1954年に白血球の血液型として発見されましたが、現在では、このHLAは白血球にだけあるのでなく、ほぼすべての細胞と体液に分布していて、組織適合性抗原として働いていることが分かっています。そしてHLAは遺伝子の第6染色体短腕にあることが解明され、体外受精したのち受精卵診断でHLAのタイプが完全に一致したものを選んで、妊娠・出産が可能になりました。

 2000年にNHKで放映された『人体改造時代の衝撃』では、1990年に実施された救世主兄弟からの骨髄移植が紹介されていました。この時は、4分の1の確率にかけて妊娠・出産したアメリカでの事例でした。反対運動が置きて、警官が出動して病院を警護する中での治療でした。2010年放映の『人体製造――再生医療の衝撃』では、受精卵の遺伝子診断によって完全に免疫の型が一致した子どもが、出産された事例が紹介されていました。

 どちらもアメリカでの事例ですが、アメリカではすでにかなりの数の救世主兄弟が生まれています。イギリスでは国会で4年に亘って議論され、2008年に血液の病気に限定して、救世主兄弟を作ることが許されました。アメリカには法的規制はありません。医者と当事者の良心に任されています。免疫の型が完全に一致していますから、すべての移植が互いに可能です。

 眼科の待合室で資料を読みながら、ふと考えてしまいました。もしHLAのタイプが一致していても障がいを持っていることが分かった受精卵しかなかったとき、どうするのだろうか、と。2010年放映の事例では、「姉娘を助けることができるもう一人の健康な子どもを生むことが出来るのなら、望ましいことだと思いました」というように語られていました。

 技術の進歩に私たちの欲望が振り回され、倫理も法律も追い付いていません。まず、遺伝子技術の進歩がどうなっているのか、知らなければならないのでしょう。

h-miya@concerto.plala.or.jp