宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

佐川文庫 木城館でのサロン・コンサート

 佐川文庫 木城館でサロン・コンサート「大須賀恵理ピアノ室内楽シリーズ~未来を嘱望される若者を迎えて~」を聴いてきました。演奏者は、大須賀恵理(ピアノ)、正戸里佳(ヴァイオリン)、岡本誠司(ヴァイオリン)です。岡本誠司さんが最初にバッハの「無伴奏パルティータ第2番ニ短調」を弾きました。私の大好きな曲です。私はもう少し硬質な音の方が好きですが、岡本さんのヴァイオリンは柔らかく厚みを感じる音でした。その後2曲大須賀さんとデュエット。「華麗なるポロネーズニ長調 作品4」(H.ヴィエニャフスキ)は軽やかさと華やかさを感じさせる曲でした。

 15分の休憩をはさんで、正戸里佳さんと大須賀さんが二重奏で3曲演奏しました。ラヴェルの「ヴァイオリン・ソナタ」、「ツィガーヌ」、J.マスネの「タイスの瞑想曲」です。ツィガーヌはジプシーの意味です。ラヴェルの2曲は、どちらも高度なテクニックを要する曲でした。「タイスの瞑想曲」は、旋律の美しい曲で、私は寝る前によく聴いています。疲れてもいたので眠くなるかなと思いましたが、生の演奏は緊張感を持って、心地よく耳に響いてきました。

 こういう若手の演奏家が育っていること、あまり知りませんでした。日本で、音楽で食べていける人はほんの一握りと言われます。音楽だけでなく、アートといわれる分野は、他のことをやりながら演奏や作品作りをしないと、食べていけないのが実情だと思います。

 文化とは何か。文化人類学では、生活に関わるものすべてを文化として扱います。それはその通りだと思います。ただ、その中で芸術といわれる分野、あるいはもう少し広げてアートといわれる分野は、必ずしも実用性を主目的としては成り立っていません。それを誰がどう評価していくのか。演奏が評論家の評価対象としてだけでなく、佐川文庫のサロン・コンサートのように、愉しみの対象として普及していくと、生活がもっと豊かになるのではと思います。

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木城館ホール舞台:夕暮れ時、ガラス張りの舞台の外に夕焼けが広がっていました。陽が落ちると、ピアノの重厚さと桃の花の華麗さが浮かび上がりました。

 

 

『ダウントン・アビー』の世界

 イギリスの貴族が楽しみに見ていたという『ダウントン・アビー』。確かに、格式ある生活とはどのようなものかを描き出しています。連続物の面白さは、その世界が自分にとっても馴染のものになって、スッとそこに入りこめることです。俳優陣にとってもその世界はもう一つの自分の人生になるようです。

 イギリスでは2010年から2015年にかけて放映され、6シーズンで終了しました。私は、ファーストシーズンの1作目を見て、面白いと思いました。シーズン2が始まる頃には、他のシリーズものに嵌っていて、あまり見ませんでした。昨日(23日)、シーズン2の最終話を見て、やはり面白いなあと思いました。ただ、シリーズ物は、基本、アメリカの警察ドラマ系のものを見ます。『ダウントン・アビー』のような群像劇は、疲れるのであまり見ません。

 でもたまに見ると、面白いなあと思います。第1次世界大戦前後のイギリス社会がよく分かるように描かれています。カントリー・ハウスでの生活がよく伝わってきます。カントリー・ハウスは、貴族やジェントリ層によって作られた大邸宅で、イングランドの田舎における社会単位の中心でした。1870年のイングランドの農業不振や第一次世界大戦を契機に凋落していきました。ダウントン・アビーもそういう時代の波の中で変容してゆく姿が、描かれています。

 カントリー・ハウスの成り立ちは、エリザベス1世と大きく関わっています。彼女が1558年に即位すると、中流階級の才能ある人物を積極的に登用しました。エリザベス1世は、夏場の避暑兼地方巡行に家臣の邸宅に滞在することを好んだそうです。家臣たちは彼女の寵を得ようと、邸宅を競って飾り立てました。これらの邸宅の役割は中世のマナー・ハウス(荘園における農業社会の中心)と変わらなかったそうですが、その建築様式や内部構造の変化のために、カントリー・ハウスと呼ばれるようになりました。

 その他にも、カントリー・ハウス内での主人家族と使用人の関係、カントリー・ハウスを舞台にしたドラマなど、調べてみるといろいろ分かりました。ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』は好きな小説ですが、カントリー・ハウスものという認識はありませんでした。国が違って文化が異なるというのは、描かれている時代背景への前提的了解がこんなに異なるんだなあ、と思いました。

 他の国の人が日本の時代劇を見たり、時代物の小説を読んだりするとき、かなり「不思議の国・日本」なのでしょうね。そう言えば、アメリカ滞在中にテレビ放映されていた『水戸黄門』を見たとき、刀での切り合いの場面に違和感を持ちました。アメリカの生活の場から見たからでしょうか。日本の現代生活の中で見る分には、娯楽として見れるのですが。虚構の世界ですが、そこにはやはり一つの世界が作り出されているのだと思います。

自分の目と他人の目の同質性

 他人のまなざしとどう向き合うかは、古今東西の人間誰しもが悩んできた問題ではないでしょうか。サルトルの『存在と無』の中の「まなざし」の分析は有名ですが、普通に日常的に気になる問題ですよね。自分が他人の目を気にしすぎると気に病んでみたり、傍若無人過ぎると他人を批判したりと。自分の中に基準を持つことと他人の評価を気にすることとは、どういう関係にあるのでしょうか。

 日本の文化を恥の文化と捉えたのは、ルース・ベネディクトです。恥の文化は集団優位の他律的文化と言われます。これに対して、罪の文化(キリスト教文化圏)は、個人が確立された、自律的道徳基準が成立している社会に特有だと言われました。しかしながら、アウシュビッツでのコルベ神父の自己犠牲的死は、絶対者(という他者)への強固な信仰無くしてはあり得なかったでしょう。自己の規準とは、どういう他者と向き合っているかという問題のような気がします。もっともカントなどは、理性信仰という視点で、普遍性から基準を考えています。いわゆる原理・原則主義です。

 森有正は、キリスト教道徳を、絶対者に向かう垂直の志向を持つと言いました。それに対して日本の道徳は水平であると。体面を重んじて「他人の目を気にする」というのは、人によって判断も異なるものに振り回されている、他律的生き方のように思えます。また、自分の基準を持たない日和見的生き方のような意味合いにも取られがちです。

 しかし、ただ汲々と他人の眼だけ気にしている場合はそうでしょうが、自敬の念と他敬の念は両立します。その可能性を展開した層に武士がいます。例えば、日本には敵をも愛せという思想は生まれませんでしたが、敵をも敬えという考え方は生まれました。武田信玄の家風をまとめた『甲陽軍鑑』には、「敵をそしるは必ず弓矢ちとよはき家にこの作法也」とあります。敵をそしるのは弓矢が弱いから、言葉で虚勢を張るんだ、というように言われています。そして彼らにとっては、敬うに値する存在こそが、敵とするに値する存在だったわけです。

 このことは武士同士の関係でも言えます。互いに敵にするくらいの存在であれ。自分を死守しなさい、たとえ法に背いても馬鹿にされっぱなしはだめだ、と。と同時にそれは相手に対しても、馬鹿にするようなことをしてはいけない、という姿勢になります。武士の名と恥を重んじる生き方を、他律的と割り切るのはむしろ誤りで、「自らを持し他を敬う姿勢との関わりにおいて理解されなければならない」(相良亨『日本人の心』48頁)と言われます。

 武士は自らを律して生きたわけですが、同時にそれを行動に示すことで自分で確信しようとしました。例えば自分が臆病でないことを、実践で示すことで納得しようとしました。そういう行動は、他人から見ても勇気ある行動になります。

「ここに、自らの心に恥じる恥が、同時に他人の目を恥じる恥ともなってくるのである」「自分の目と他人の目との同質性の理解があることも見落とすことができない」(相良亨、同書、50頁)

 武士は他人に敬意を払いましたが、その敬意がその目に対する敬意にもなっているというのです。この見解は、私にとっては「目から鱗」でした。「他人の目を気にする」というのは、他人の目を恐れ、外面を取り繕う生き方だと考えていましたから。「他人からの判断・評価>自分の判断・評価」という捉え方で考えていました。

 でも、自己への敬意と他者への敬意は両立します。自分を真に尊重する者は、対峙する他者を尊重します。そういう他者からの評価を気にします。ここにあるのは、慣れ合いではない人間関係であり、自主独立の人間同士の「人は人、私は私」の関係性です。「カラスの勝手でしょう」ではない、相対的でありながら、緊張を持って認め合う関係が可能です。キリスト教道徳の神との垂直な関係ではない、また原理・原則主義でもない、水平な関係性の中に自己を超越する道徳を作り出したのが、武士という存在でした。そこでは、自分の目と他人の目とは同質なのです。

 言われてみれば、納得する解釈です。

あきらめないこと

 茨城有権者の会で、「あきらめないこと」という話が出たことは書きました。以前に見たドキュメンタリー番組『植物人間からの生還ーーあなたの声が聞きたい』(NHK1992年)でも、看護婦長紙屋克子さんが、同じことを言っていました。「看護婦があきらめたら、誰も患者さんを救えない」と(注:現在は植物人間という言い方はしません。植物状態です。それと看護婦でなく、看護師になっています)。

 DVD『ペイ・フォワード』でも、主人公のトレバー少年(11歳)が同じことを言います。「ペイ・フォワード(pay it forward 先に送れ)」とは、厚遇を受けたら良くしてくれたその人に返すのでなく、先に送れということです。「一人の人間が三人に、困難な状況で厚意で応答し、その三人がさらにそれぞれ三人ずつに厚意で応答する。こうして厚意の輪が広がってゆく」というアイディアです。これは、社会科の一年間にわたる課題、「私たちの世界を変えるアイディアを出し、それを行動に移しなさい(Think of the idea that changes our world, and put it into action)」へのトレバーの答えです。トレバーは「人生は糞だから」こういうことを考えたと言い、実践します。もちろんなかなか上手くいきません。落胆しているトレバーを、課題を出した先生が「結果ではなく、努力することが大切なんだ。評価は悪くない」と慰めます。しかしトレバーは「点数が問題なんじゃない。ぼくは世界が変わるのを見たかった」と応じます。

 そして、トレバーは、友だちをいじめっ子から助けようとして、刺されて死んでしまいます。「人生は思ったほど糞じゃない」「あきらめたら負けなんだ」というトレバーの言葉に、孤立する状況の中で人間的に生きることの困難と、だからこそ見えてくる輝きが表現されていたと思います。そして、それを信じて行動できるような力が、子どもたちの中にあることも。

 そしてここで償いについても考えさせられました。トレバーの母親やトレバーを愛した人たちの喪失の哀しみはどうやって癒されるのだろうということです。トレバーを殺してしまった子が罪を償えば良いんだろうか。そうではない結末をこの映画は見せてくれています。『新約聖書』「ヨハンネスによる福音12章24-25」の一粒の麦を思い起こさせる結末によってです。悲しみにくれる母親と先生は、トレバーの死を知ってロウソクに火を灯して集まってくる人々の長い行列に気が付きます。彼らの哀しみにみちた、でも微笑によって、二人の悲しみの質が変わってゆくのが分かりました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、いつまでも一粒のままである。しかし、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を顧みない人は、それを保って永遠の生命に至る」

 これはイエス・キリストが処刑される前の晩の話です。イエスは自分の死を知っていて葛藤しています。そして自分の生命への執着はその喪失につながる(自分の命を愛する者は、それを失う)が、自分の生命に淡白な者は永遠の生命に到ると言うのです。トレバーが、生命を失うことで人びとの心の中に復活したことを思わせる結末でした。

 肉体の「死」は絶望ではありません。「死」によってしかその意味や意義を完成できないものがある、そんなメッセージも聞こえてきます。もちろん、ここでの死は、単独者としての死、実存的決断を伴う死です。他者を死なせることではありません。戦争や国家のために死ぬことの奨励に使われるなら、とんでもない間違いです。

 それはさておき、「先へ送れ」という考え方にある人間への信頼と、それが人から人へと伝わり、その活動の輪を広げて行ったことには、宗教観の違いを超えて感動するのではないでしょうか。私も、最後のローソクを灯して人々が集まってくる場面では、ぼろぼろ泣いてしまいました。主人公のトレバーを演じたハーレイ・ジョエル・オスメントが可愛かったというのもありますが、それまでの暗たんたる思いが軽くなったのを覚えています。

 人生の中で起こる様々な出来事、思うに任せないことが多いと思います。そういうとき、「あきらめないこと」というこの言葉とどう向き合うのか。自分の理想や願望にしがみつくのでなく、状況と現実的に向き合いながら抵抗し続けることがあきらめないことではないでしょうか。「あきらめないこと」は、ローカル・レジスタンスの精神でもあると言えるでしょう。

『不思議なクニの憲法』のビラ配り

 水戸駅北口で、朝、ビラ配りをしました。ドキュメンタリー映画『不思議なクニの憲法』(監督 松井久子)を5月3日に、勝田のワークプラザで13時30分から上映します。入場料は700円です。主催は「憲法のつどい」実行委員会。

 以前小美玉市役所 四季文化館(みの~れ)で開催された講座で、「あしたの学校」の代表理事佐川雄太さんの話を聞いたことがあります。テーマは「講座への人集め」だったと思います。そのとき、ビラ配りの話になりましたが、実際配る側になってみて、もらってくれそうな人とだめな人はなんとなく分かりました。

 もらう側のときは、そう言えば避けて通ってたよなあ、目を逸らして、とも思いながら。立場が違うと、見え方が違う、というのは実際、いろいろ体験して初めて分かります。佐川さんが、ビラのつくり方は、カミスガプロジェクトの菊池さんに敵わないけど、ビラ配りは自分の方が上手い、と言っていたのを思い出しました。

 どういう催しかを書いたプラカードを立て、何人かで流れを作り、配る人は簡単な挨拶だけにする。「おはようございます」「行ってらっしゃい」。目を合わせない人は受け取らない。目を合わせてくれる人に対し、空いている側の手にスッと渡す。

 書くと簡単なようですが、これがなかなか難しかったです。プラカードなかったし。でも、チラシがきれいだったせいか、結構、受け取ってもらえました。

型が育てるもの

 中山要『御徒の女』を読みました。御徒というのは、徒侍、徒歩で行列の先導を務めたような下級武士のことです。御徒の女とは、この徒歩組の娘や徒歩組に嫁いだ女たちのことです。時代は、幕末、お徒歩組に生まれた長沼栄津の娘時代から始まります。嫁いで母になり、御一新の中で息子と一緒に武家を捨てて生き抜いてゆく、女の一代記でした。おかめ顔に生まれ、身体の弱い母親を支え、見栄っ張りで自分勝手な兄と兄嫁に振り回されながら、マザコンと噂されていた男に嫁ぎ云々。一気に読んでしまいました。「ぶれない武家の女の一代期」のような帯が付いていましたが、ちょっとイメージが違います。「ぶれない武家の女」という言葉から、私が思い浮かべるのは山本周五郎の描く女性たちです。

 『御徒の女』は、栄津の心を描き込んでいるので、結構ぶれぶれじゃないかなあ、と思いました。生き方は武家の娘の道を外れず、ぶれていませんが、心の中は結構ああでもないこうでもないと思い悩み、嫉妬し、疑って、と現代的だなあと感じました。山本周五郎の世界は、型の世界だと思います。行動も心象もある型を持っていると思います。小津安二郎の世界と近い気がします。昇華された型で世界を描き出している、と。

 江戸時代は文化優位の時代、文化が個人の生活を規定しているといった人がいます。これは型が決まっていた、ということだろうと思います。「型」というのは、今の時代あまり評価されないようですが、「型」があることで、逆に心が自由に羽ばたくという側面もあると思います。そして、心だけでなく行動においても「型」を破るときには、リスクを伴うかなりの勇気を必要としたでしょう。その結果、時間をかけ江戸期に個性的な人が育ってゆく土壌が耕されたのかもしれません。

 型との付き合い方、型の意味、そして常識とは。これらを考えていると、コモン・センスそして共通感覚の問題へとつながってゆきます。

茨城有権者の会 総会:「しぶとい老人たち」

 16日(日)、みと文化交流プラザ(元ビヨンド)で、茨城有権者の会主催の映画鑑賞会と総会がありました。映画は市川房枝さんの軌跡をたどった『87歳の青春』。会員以外の参加者20名強のうち、市川房枝さんを知っていた人は数名でした。市川さんの活動に、「こんな方がいたんですか、すごいですね」というような感想もありました。

 今日(18日)の東京新聞の「本音のコラム」で、ルポライターの鎌田慧さんが、「怒れる老人たち」と題して、政治批判の視点の停滞とその再興までの処し方を書いていました。かつて労働運動や学生運動に参加することで、時の政権に抵抗する大衆運動を担ってきた層が、今や高齢化しています。「労働運動と学生運動の停滞と断絶が現在の暴政を許してきた。これらの運動が再興されるまで老人が担おう」と結ばれていました。

 権力(主流派)は必ず抑圧を生みます。抑圧される側(ローカル)が、自分たちの状況を意識化して抵抗するのは、自然発生的な場合もありますが、やはり参加・学習・行動の中で自らの視点を構築してゆくからだと思います。ローカル・レジスタンスという視点は、抑圧に抗して自由を求めるとき、出てきます。個々人の生活の中での抵抗の視点は、普通に生活する庶民の中にも息づいています。

 しかし、政治に関するレジスタンスの視点は、労働運動や学生運動の中で身に付けられてきたというのは、その通りだと思います。そういう学習の場が停滞しているのは事実です。茨城有権者の会でも、政治に関する無関心の話が出ました。でもあきらめたら終わりだ、という意見には皆さんうなずいていました。

 解散したシールズの活動を思い起こしても、若い人たちが一括りに無関心とは言えません。新しい芽吹きはあると思います。それがどのような形になってゆくのか。私たちもう若くない世代が、しぶとく、出来ることを続ける必要があるのでしょう。

h-miya@concerto.plala.or.jp