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宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

介護とパーソナル・スペース

 介護の仕事の難しさは、他人との距離の問題でもあるかなと感じています。介護というのは、パーソナル・スペース(プライベートゾーン)に入ってゆく仕事ですから。 

 パーソナル・スペースというのは、「なわばり」と言ったらいいでしょうか、他人に近づかれると不快に感じる空間のことです。これは文化によっても、性別、個人の性格、相手との関係によっても差があります。一般に女性の方がパーソナル・スペースは狭いと言われています。でも、20年以上前にスペインに行ったとき、男性同士が手を繋いでいて、びっくりしたことがあります。あとから、スペイン人の間では、男同士が手を繋いでいても、別にゲイとは限らないと聞かされました。

 文化人類学者のエドワード・ホールは、人と人とのコミュニケーションの距離である対人距離を、大きく4つに分けました。密接距離(0~45センチ)、個体距離(45センチ~120センチ)、社会距離(1.2メートル~3.5メートル)、公衆距離(3.5メートル~7.5メートル)。密接距離はごく親しい人同士の距離です。個体距離は相手の表情が読み取れる距離で、二人同士の会話が行われる場合が多く、他人が入りこみにくい雰囲気を作ります。

 社会距離は手は届きにくいが、容易に会話できる距離です。会話のしやすい社交的距離とも言えます。公衆距離は、講演者と聴衆の関係のような距離です。この距離では会話はできません。話者と聴衆の間に理性的関係は成立しますが、話の途中で自由に質問する雰囲気はありません。

 私たちは通常、この距離感を意識していませんが、自分の持っている「自然な」距離感が侵されたりすると違和感や不快感を持ちます。また、関係が微妙に異なると、距離感や言葉使いが変わります。個人的に親しいわけではない人が、密接距離に入ってくれば、無意識のうちに距離を取ろうとします。満員電車の不快感は、頭では仕方ないと分かっていても、感情的には承認できない現れです。

 介護という仕事の難しさの一つは、私たちが「自然に」持つこの距離感にある気がしています。まさに介護はパーソナル・スペースに入りこむ仕事ですから、互いにどこかで少しずつ無理をしているわけです。ではどうするのか。認知症介護のプロ大谷るみ子さんが、「相手の世界にお邪魔する」と言っていた言葉の意味が具体的に少し分かった気がします。

 大谷さんはまた、「介護はファンタジー」とも言っていました。私たちは介護とは食事・排泄・入浴介助と思いがちです。その重要性は否定できません。でも大谷さんは「本当のその人を理解し、心をかけることこそが仕事」「心は生きている」と言います。上手く自分の思いを伝えられなくなっている人の世界を理解するのは、想像力を必要とすると思います。

 私たちは大人同士のとき、相手の世界をひたすら理解しようという努力はしていないと思います。それでも会話は回ってゆきます。行動もつながってゆきます。それぞれが自分の理解の範囲で相手を理解しても、それほど問題が生じない。このように普通に関係が保たれているのは、言語ゲームの規則を私たちが当たり前に踏襲しているからでしょう。

 認知に問題を抱えた人たちの世界を理解してゆくには、その人の生きてきた道程に思いを馳せ、共感能力を発揮する必要があります。自分と全く同じだから分かる、のではなく、自分と異なる人生を歩んできた人の、異なりつつも同じものをどう直感するのか。その意味で「介護はファンタジー」なのでしょう。ただし、この言葉の意味を実感するには、もう少し時間がかかりそうです。

h-miya@concerto.plala.or.jp