宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

お生花新風体にはまってます

 今月のお花です。23日に生けました。正風体は色々約束事が多くて混乱しますが、新風体は、全体のバランスで生けることができます。足元を直線に揃えることと、水際一拳をスッキリさせること以外、制約がないのがいいです。約束事が多いと、考えてしまって、感覚を解放できません。お花は感覚で生けたいと思っているので自由花が好きですが、自分の型が出来てしまっていてそれを越えたいと思っていました。新風体は、お花が美しく見える生け方で、かつ感覚的に生けられるところがいいと思います。

 主を姫ガマ(葉物)にしました。前回、皆さんが主に葉物のオクラレルカを使っていて、素敵だなと思いました。今回は、グロリオーサも主に生ける量感があり、豪華でもあって少し迷いましたが、葉物で挑戦してみました。グロリオーサはあしらいにして、用に姫リョウブを使いました。

 涼しげな組み合わせです。葉物は、その曲線の出し方やなびかせ方、空間の取り方で色々な表情になります。本当に空間芸術だなぁと、曲線の遊びを見ながら思いました。

『「世間」とは何か』

 今日は晴れて、暑くなりそうです。

 阿部勤也氏著『「世間」とは何か』をパラパラ読み返しました。授業でも使っていたのに、大分内容を忘れています。地元に戻って、何となく周りとの関係性にしっくりこないものを感じていた時、この書に出会って、色々なことを納得できました。

 ここでは、日本人が生きる世界を「世間」として描き出されています。私たちにとって「社会」という言葉はどこかよそ行きの言葉です。今もそうかなと思います。かつて西洋から輸入された学問は、哲学も含め、抽象的で具体性を欠いています。哲学・倫理学なんていうと、ただただ難しいと受け止められます。自分たちの生活の中から立ち上がってくる問題意識と結びつかない。なぜかと考えた時、それは「個人」が十分に意識されていないし、育っていないからなのではないかと思います。

 阿部さんは、「西欧では社会というとき、個人が前提となる」(13頁)と言います。そしてその個人とは、譲り渡すことのできない尊厳を持つ存在であると。日本では、場があって、そこに属していることで私たちは安定します。この「場」が、阿部さんの言う「世間」と言っていいのかもしれません。阿部さんは世間を最初に作業仮説として「世間とは個人個人を結ぶ関係の環」で明示された規則はないが、「個人個人を強固な絆で結び付けている」(16頁)と定義します。明示された規則はなくても、構成原理は背後にあって、それが「長幼の序」と「贈与・互酬の原理」(17頁)だと言われます。

 世間というのは、良くも悪くも私たちが基準として生きてきた生きる場であって、それが無くなってしまったら、「私達の多くは行動の指針を失って困惑してしまうだろう」(22頁)と言われます。世間はそれなりに個人の位置に気を配っていて、その中での競争はできるだけ排除されています。競争社会を生きるより、「与えられた位置を保ち心安らかに生きてゆきたいと思っている日本人は意外に多い」(23頁)という見解には、今も真実味を感じます。ただ問題は、このような世間での人間関係には、闊達とは言えない雰囲気があることです。これは、私も感じます。

 阿部さんは世間を、非言語系の知の集積と捉えています。そして、今という時代はこの知を顕在化して、対象化しなければならない段階に来ているというのです。確かに、「非言語系の知」の顕在化は、新しい段階に踏み込むときには前提になるものだと思います。自分の依って立つものが分からなければ、改善も改革もあり得ないし、新しいものを生み出すことも出来ません。

 私も阿部さんが最後に述べているように、日本社会から世間が消えてしまうとは思えない。しかし、個人がもう少し「闊達なありよう」(258頁)を世間の中で出来る道を、みんなで模索する必要があるとやはり思うし、現代はそれをやっている時代なのかもしれません。

            2024.5.15 地域サロンでの巻きパン焼きの風景

シュタイナー学校と特区制度

 シュタイナー教育のことを思い出しています。教育に携わろうと考えていた大学院時代、シュタイナー教育のことを友人から聞いて、何人かで勉強会をしたことがあります。

 シュタイナーは障害児教育を「教育の中の教育」と呼んでいました。ヴァルドルフ・シューレは、1919年にドイツ南部シュトゥットガルトに初めて開かれました。この学校は工場労働者の子弟を教育することを目的に、依頼されたもので、タバコ工場の共同経営モルトはシュタイナー人智学に共鳴して、彼に開校を依頼したのです。この時、シュタイナーは以下の4つを条件に出して、引き受けました。

 ①学校はあらゆる子どもたちに開かれていること。②男女共学であること。③12年の一貫教育であること。④教師たちが学校経営の中心的役割を担い、行政や財界からの影響は最小限に抑えること。

 シュタイナー教育は、一言で言えば「自由へ向けての教育」と言われます。「自由な」教育ではなく、子どもたちが人間としての「自由を獲得できるよう」育成する教育という意味です。ここに私は深い共感を覚えました。自由であるためには、そこへ向けて教育する必要があります。よく自由放任という批判がありますが、私たちは、放っておいて自分の自由を適切に行使し、守れるのか、という問題でもあります。

 シュタイナーは生まれてから成人までの時期を、七年毎に3つに区切って、それぞれの課題があると言います。第1七年期、いわゆる就学前の時期の課題は、すべての感覚を調和的に発達させるための感覚教育の徹底の時期です。ここでは芸術的体験が特に重視されています。芸術的要素は小学校へ上がってからも特に最初の七年は重視されるますが、徐々に知的部分への働き掛けを強めてゆきます。芸術の持つ、根源的な力を考えさせられます。

 日本におけるシュタイナー学校は、1987年に始まった東京シュタイナーシューレが嚆矢です。8人の1年生一クラスから始まったシュタイナー学校の芽は、少しずつ大きく育ってゆきました。学校としての教室スペース、校庭、学籍問題など幾つものハードルがありましたが、2001年に9年制に歩み出すとともに、東京都からNPO法人認証を取得しました。学校法人の取得は、2004年10月です。これは構造改革特別区域法を利用することで可能となりました。いわゆる特区制度とは、規制緩和のために特定の地域を限定して改革を行う制度です。学校法人シュタイナー学園は、神奈川県旧藤野町の廃校舎を利用し、小中一貫校の認可を受けて開校しました。

 特区制度は大きく3つに分かれます。構造改革特区、総合特区、国家戦略特区で、それぞれ構造改革特区関連法が2002年、総合特区関連法が2011年、国家戦略特区関連法は2013年に成立しています。構造改革特区の目的は、地域の活性化です。

 現在のシュタイナー校は、教育課程特例校の認定を受けています。12年一貫のシュタイナー校は、2012年1月に神奈川県知事から設置の認可が下り、旧相模原市吉野小学校の廃校舎を利用して、2012年4月に開校しました。それまでは、高等部はNPO法人のままでした。

 教育課程特例校というのは、文部科学大臣が指定学校での特別の教育課程編成を許可する制度です。シュタイナー教育におけるエポック授業やオイリュトミーなどが、その対象になります。エポック授業は、一つの教科を数週間学び続け、その後熟成させる時間を持ちます。子安美知子さんの『ミュンヘンの小学生』によると、午前中2時間弱の基本授業は、このエポック授業の形式を取っています。算数が数週間続き、次に書くエポックが数週間続く、というような形態をとります。外国語は日々の繰り返しが重要ということで、エポック方式を取りません。

 シュタイナー教育では、集中的に学んだものを吸収・消化するためには、ある期間休む時間が必要と考えます。そして、教育全体に、教育そのものが芸術行為であるというシュタイナーの考え方が、貫かれています。当時、エポック授業の考え方には、非常に興味を惹かれました。

 シュタイナー学園が、日本でも学校法人として活動していることを知り、感慨深いものがあります。

             近所のお宅のバラ(2021年5月)

巻きパンでイキイキ時間

 15日、しおかぜみなとで巻きパンを焼きました。はまぎくカフェ、念願の外を使った行事。参加者の皆さんも、炭でパンを焼くときには、周りを囲んで楽しそうでした。

 

 お天気にも恵まれました。次の日はまたちょっと雨模様。解放感もあり、コーヒーや紅茶を飲みながらの試食は最高でした。

お生花新風体

 25日のお花は、お生花(しょうか)でした。池坊のホームページによると、生花は江戸時代中期に成立しました。立花が草木の「調和」に美を見るのに対し、生花は草木そのものの生命力や個性である「出生」の美に着目します。生花では、針金やテープを使いませんが、そういうことだったのです。

 生花正風体は明治時代に成立し、万物の基本と考えられてきた「天・地・人」を真・副(そえ)・体(たい)で表現します。長さ関係や生ける位置、向きなどの約束事があります。型が決まると美しいとつくづく見入りますが、創作過程は結構神経を使って大変です。

 今回は新風体で、1977年に現家元池坊専永氏によって発表されました。約束事が少なく、水際一握りをスッキリさせることと直線になるように生けること以外は、生ける人のバランス感覚が重視されます。「主・用・あしらい」で生けます。何を主にするかは、印象の強さが決め手です。

 主は丹頂アリアム。曲線の美しさを生かしたいと思いました。用は葉っぱのオクラレルカ。あしらいはバラです。器を家に戻ってから変えました。

 

 他のお二人の生花は、オクラレルカを主にしています。丹頂アリアムが用でバラがあしらいです。

 正風体と違って、生け易いです。新風体には、はまりそう。

巻きパン講習会

 24日に、しおかぜみなとの新棟調理室を使って、巻きパン講習会をしました。5月15日のはまぎくカフェの予行準備です。結構時間がかかりました。スタートから調理室の片付け終了まで、2時間40分かかりました。2時間以内に収めるのは難しいかな。終わってからのミーティングで、時間短縮のための方法を、手順を整理しながら話し合いました。15日本番一週間前に、もう一度ミーティングをするので、もう少し整理できるかもしれません。

 パンは発酵時間が必要なので、そこで体操したり歌を歌ったりできます。ただある程度の人数になった時、全体が動くのには、少人数でやる時よりはかかりそうです。

 

 

 外で焼くとき、あいにくの雨で、タープテントを張りました。本番はどうなるか。雨が降ったら、調理室のオーブンを使って焼きます。でも、外で焼いて、そこで食べるのが美味しいですね。

山縣美季 ピアノリサイタル

 13日の穏やかな午後のひとときを、ピアノ演奏を聴きながら過ごしました。会場の木城館ホールも、佐川文庫の庭も、春の柔らかでどこか儚い美しさの佇まいです。演奏者の山縣美季さんは、物柔らかさのなかにも、はつらつとしたエネルギーを感じさせる方でした。

 プログラムを考え抜かれたようです。あまり馴染みのない曲で組み立てられていました。ラモーの「クラヴサン曲集と運指法第1番(第2組曲)❝鳥のさえずり❞」で始まりました。

 その後、プログラムについてのご自分の想いを述べられました。自分が何に力をもらっているのかと言えば、自然の美しさだったと気づいたそうです。空の青さ、風、海、四季の花、鳥の声等々。そういう自然を味わって欲しいとの想いで組み立てたプログラムだと話されました。

 美季さんのお名前、美しい季節、なんですよね。ミキという音を漢字にすると、美姫、美紀、美希、美貴、未希と沢山あります。名づけられた方の念いとのシンクロを思いました。

 リスト編集の「シューベルトによる12の歌より」では、ひばりの声や水、海の静けさ、春の想いなどを表現した曲が弾かれました。メシアン前奏曲集より❝風のなかの反映❞」は、ちょっと雰囲気が変わりました。オリヴィエ・メシアン神学者でもあり、鳥類学者でもあり、音と色の共感覚を持っていたそうです。共感覚の問題には、私も興味があります。音楽を絵で表現するとき、自分が受け取ったイメージではなく、音を色で表現できるかという問題です。メシアンは、ドビュッシーに傾倒していましたが、クラシック音楽の流れとしての現代音楽はドビュッシーに始まったと言われます。その後、フォーレの「舟歌第2番ト長調」とショパンの「舟歌嬰ヘ長調」で休憩に入りました。

 後半では、シューベルト「ピアノ・ソナタ第18番ト長調❝幻想❞」が弾かれました。ソナタって、複数楽章を持つ曲の形式かなと思っていましたが、器楽曲の事だと知りました。「カンタータ(歌唱されるもの)」との対比で使われたようです。「歌われる」のではなく「演奏されるもの(ソナーレ)」が語源だそうです。中期バロック(17世紀初めから18世紀半ば)の頃に形式が整い始め、今のような複数章の器楽曲や室内楽曲をさすようになりました。それでも、後期バロックに属するスカルラッティは単一楽章のソナタを残したようです。

 アンコールで弾かれたショパンノクターン12番と幻想ポロネーズは、聴き応えがありました。ショパンノクターンというと、2番か20番が日本では馴染みがあります。12番はあまり聴くことがないのですが、午後の遅い時間だけど、夜ではない時間には合っている感じがしました。2番も20番も当に夜想曲、っていう感じなので。

 幻想ポロネーズは、10分以上の曲。プログラム曲として演奏される曲だと思いました。ポロネーズポーランド風の意味です。マズルカと並んでポーランドのダンスあるいはその舞曲を意味します。マズルカが庶民のダンスだとすると、ポロネーズは宮廷ダンスです。もともとは貴族の行進から始まったようです。なるほど、ショパンポロネーズというと、幻想ポロネーズと並んで、英雄ポロネーズ軍隊ポロネーズが有名です。ショパンは、幻想ポロネーズを、ポロネーズとしてより幻想曲として作曲していたようです。

 山縣さんの、練り上げられたプログラムとエネルギー溢れる演奏を、堪能したコンサートでした。

            4月13日木城館ステージと庭

h-miya@concerto.plala.or.jp