宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

遊びの楽しさ

 今日も昼間蒸し暑かったですが、明日はまた夏の暑さがぶり返すようです。朝晩はかなり涼しくなって来ていますが、10月に日中30度というのも、季節感がずれてしまいます。

 ところで、遊ぶことはなぜ楽しいのでしょうか。自分の好きなことだからでしょうか。そうとも言いきれません。例えばゲームをすることになって、それが知らないゲームでも、やっているうちに楽しくなって夢中になることがあります。

 遊びには義務がないし、大義名分もありません。「~のために」「~ねばならない」がないというのが、まず開放感になります。ただし、お付き合いで内心嫌々参加する遊びは、つまらない。でも、どこかで自発性のスイッチが入ると、俄然、面白くなります。

 真面目な目的、例えば「生活費を稼ぐ」「褒められる行為をする」「人として為すべきことをする」「人のため、世のためとなる業績を上げる」「歴史に残る偉大な行為をする」などとは、遊びは無縁です。ただ遊びたいから遊ぶ。この遊びの自己完結性は、ある意味、マインドフルネスに繋がるのではないでしょうか。

 自己完結的で自発的であることで、遊びは楽しいのかもしれません。遊びの問題は、これから少しずつ考えていきたいと思っています。

根津美術館

 28日の土曜日、東京で集まりがあったので、その前に根津美術館に行って来ました。ずっと行きたいと思いながら、何んとなく行きそびれていました。美術館の場所が南青山で、私がよく行くのがお茶の水や池袋界隈ということもあって、行く機会を逸していました。今回は、何としても行こうと心を決めて行きました。やはり行ってみて良かったです。

 企画展は「美しきいのち―日本・東洋の花鳥表現ー」でした。「美しきいのち」って何だろうと思いながら、見て回りました。日本・東洋の花鳥表現という副題がテーマなら分かり易いのですが、面白みに欠けます。そのまんまなので。花鳥画は東アジアの絵画の主要なジャンルの一つです。そして、現代ではスケッチを意味する「写生」という言葉は、花鳥画における対象の観察とその形態や生態を写し取ることを意味したそうです。写生の生とは花や鳥の生で、それを写しとること、花鳥表現というのは、まさにいのちの美しさを写し取ることだったわけです。

 展覧会では、中国と日本の花鳥表現の展開を提示していました。私は、同時開催の「刀装具―驚きのわざ」に見入ってしまいました。国内最大級という光村コレクションの刀装具の縁頭が沢山展示されていました。

 縁頭は柄頭とも言います。柄は刀の持ち手の部分です。その先端部分が頭で、鞘側が縁です。柄の強度を高めるための装具ですが、刀装具の中でも目立つ位置にあるので、刀の所持者の家紋などが取り入れられたそうです。小さな一対の刀装具の美しさ。武器であるのになんてきれいなのだろうと、見惚れてしまいました。

 根津美術館は、根津財閥の初代根津嘉一郎の古美術品コレクションをもとに、邸宅を改装して、1941年に開館しました。美術館は四季折々の庭園の美しさでも知られています。庭を全部見て回る時間がなかったのが残念です。

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            美術館入り口までのアプローチ

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                  心そそられる屋形船

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                    庭園から見た美術館

ニーチェ『ツァラトゥストラ』4

 昨日は少し蒸し暑かったです。今日は、風が涼しく、時折陽も射してきて、秋らしい陽気です。畑に彼岸花が咲いていました。

 さて、なぜツァラトゥストラは山に籠ったのか。それはラクダから獅子への変化のためではなかったか。序説の後の説話の冒頭が「三つの変化について」であるのは、ツァラトゥストラの精神の変化についてその来歴とこれからを先取りして語っているからではないでしょうか。これからというのは永遠回帰で蛇を食い破って、ツァラトゥストラ自身が超人=子どもへと変化することへの予感と言えると思います。

 この子どもは遊ぶ子どもです。ニーチェは遊戯という在り方に、もっとも偉大な課題への取り組み方を見ていました。

 「偉大な課題に取り組むのに、遊戯よりももっとよい取り組み方を私は知らない。遊戯ということは、偉大であることのしるしともいうべく、一つの本質的な前提だ」(ニーチェ『この人を身よ』「なぜ私はこんなに利口なのか」10)

 そしてさらに人間の偉大さを表す定式を「運命愛」と表現します。これは「何事によらず現にそれがあるのとは違ったふうなあり方であってほしいなどとは決して思わないこと」と言われます。しかし、ツァラトゥストラニーチェの肯定とは、大いなる肯定・聖なる肯定であって、現にあるがままを肯定することではなかったはずです。となると、この辺りはどう読んだらいいのか。一つ言えることは、人間の偉大さの徴であり、「愛」と言われている点でしょうか。ともあれ、受け入れること、それが愛することと言われていると思います。

 遊戯(das Spiel)が偉大(die Groesse)さと結びつけられています。通常遊戯というと真剣さの欠如、気晴らしというイメージです。偉大さというと優れていることや立派なことを意味し、真面目さの極地のようなイメージがあります。ニーチェの言い方には、一般的解釈では最初に「えー」と思う部分があります。或いは、通俗的でなくていいという思いで飛びつきたくなるものも。この辺りの表現もそうですよね。でもこの辺り、遊戯に込められている意味をもっと多角的に捉える必要があります。

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          畑の彼岸花

インプロ・ゲームと表現

  今日は晴れて空気が乾燥していました。洗濯物がよく乾きました。昨日は仕事でしたが、14日の仕事から毎日出かけていて、その最終日、かなり疲れが出ました。採点をしなければならないのですが、今日も午後から夕方出かけていて、出来ませんでした。明日はやるぞ。

 ところで、15日、16日と茨城大学の水戸キャンパス社会連携センターで開催された公開講座「インプロ・ゲームと表現」に参加しました。講師は茨城大学教育学研究科教授の正保春彦さんと、インプロ・ワークス代表の絹川友梨さんです。一日目は正保先生が担当し、二日目は絹川さんが担当で正保先生も参加者として出席。10時開始で、17時過ぎまで、間に取ったお昼休憩1時間、小休憩午前10分、午後10分で、それ以外はほぼ立って動いていました。まあ、よくぞ続いた、と後から思いますが、でも楽しかったです。下が2日目の内容です。講師はインプロ・ワークス代表の絹川友梨さん。

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 1日目の最初にやったのは、二人組になってやる手合わせでした。両手を合わせてから、それぞれで拍手を1回してまた手合わせします。次は拍手2回で手合わせして、順々に拍手の回数を5回まで増やし、その後4回拍手手合わせ、3回拍手手合わせで、1回拍手手合わせまで減らしていきます。間違えたら最初からやり直し。この単純な遊びが意外に難しく面白いのです。その後も次々と5時まで、色々やりました。

 2日目は、絹川さんが講師で、同じように盛りだくさんでしたが、内容は上の写真のようなものです。最初は、はい・いは・どん。3人一組になって、二人が向き合って、もう一人が号令をかけます。向き合った二人は手をミルフィーユのように交互に重ねます。「はい」で一番下の手が上、「いは」で一番上の手を下にします。「どん」で一番上の手が下の手を叩くので下の手は逃げます。逃げ遅れた手は叩かれます。最初は自分で自分の手を叩いたりしてしまいますが、慣れてくると上手に逃げられるようになります。これも単純ですが、みんなわぁわぁ言いながら盛り上がりました。

 ワン・ワードは、前日にもやりましたが、5人くらいで組になって、一人ワン・ワードで話をつないで作っていきます。例えば、「昔々」「あるところに」「きれいな」「かえるが」「いました」というように勝手に思いついた言葉を順次言っていきます。最初言い始めた人も自分のイメージからずれていっても、回ってきたらその前の人の言葉を受けて軌道修正して、話をつないでいきます。いつの間にか、自分が思っていたのと違う方向へ話が展開していきますが、そのうち5人のイメージクラウドが何となく合致して、お話に落ちがついたりします。

 インプロ(即興演劇)は正解のない展開を特徴としています。状況に応じて、他の人の力に乗っかって対応していく活動です。ですから、短いドラマ作りでも、振り返りでは良いところを褒め合うことに意味があります。というのも、どうしたら良かったか、後から考えて「こうすればよかった」と話しあっても、状況が異なったら使えないからです。マニュアル化は意味がない、それでは即興にならない、というのが絹川さんからの指摘でした。

 また、自分にだめ出ししたり、自分の意識の中でいろいろ考え始めたら、それを押さえることをやります。状況に反応すること、まずは言葉を発したり、行動してしまうこと。結果は後から付いてくるし、他の人が助けてくれる。他の人や周り全体の動きに意識を持っていくこと。

 確かに、自分の思うようには現実は動いていないのに、結構自分の中で空回りしているのが実状だなぁと思います。自分の中に空白を作ることの難しさとその豊かさを感じました。今までも、何となくは気付いていたことですが、より自覚した感じです。まだ、体得までは行きませんが。

 17日は月に一回の生け花の集まりでした。

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      17日に生けた花。染雪柳・トルコキキョウ・リンドウ・ワレモコウ

ニーチェ『ツァラトゥストラ』3

 台風15号は首都圏に甚大な被害を引き起こして、通り過ぎて行きました。千葉市付近に上陸し、関東南部に大きな爪痕を残しました。強風でコンテナが散乱した横浜市本牧ふ頭の様子や、千葉県市原市のゴルフ練習場のネットが倒れてその支柱が住宅に倒れ込んでいる様子など、結構恐ろしいものがあります。自然災害の恐ろしさを思い知らされる出来事でした。

 さて『ツァラトゥストラ』の序文は大筋、ツァラトゥストラ没落の物語です。隠遁者から人間の世界への。そしてそこでは、「人間は動物と超人のあいだにかけ渡された一本の綱である」ことが、綱渡り師の芸を見ようと集まっていた民衆にむかって、説教されています。人間は過渡であり、目的ではないと言われています。これは現代のヒューマニズム・人間中心主義批判につながります。しかし、このツァラトゥストラの言葉は、民衆には届きませんでした。この序文は結構、人間批判として納得させられながら読んだ部分です。ここにはまた触れることにして、気になっている「精神の三態の変化」の部分を考えていきたいと思います。

 ラクダ―シシー子どもと精神は変化していくとツァラトゥストラは語ります。ラクダとは、内に畏敬を宿す精神であり、重いものを求めます。もっとも重いものとは何か?

 「自分の高慢さに苦痛を与えるために、わが身を低めることではないか? 自分の知恵をあざけるために、自分の愚かさを明らかにすることではないか?」

 重荷に耐える精神は、諸々の重いものを背負って、砂漠へ急ぐラクダのように自分の砂漠へと急ぎます。そしてここで第二の変化が起こります。精神はシシになるのです。「なんじ、なすべし」がラクダの精神だとすれば、シシの精神は「われ欲す」です。しかし、シシにも為し得ないことが「新しい諸価値の創造」であり、そのためにシシは子どもにならなければならない、と言われます。

 「子供は無邪気そのものであり、忘却である。一つの新しい始まり、一つの遊戯、一つの自力で転がる車輪、一つの第一運動、一つの神聖な肯定である」

 ツァラトゥストラは序説の部分で、最後の人間を語りました。最後の人間とは、自分自身を軽蔑することのできないもっとも軽蔑すべき人間と言われます。彼らは高望みせず、争わず、身を寄せ合います。そして、彼らは幸福を考案したと得々とします。民衆は「われわれにこの最後の人間を与えよ」と叫びました。これがツァラトウストラを落胆させ、「私はこれらの耳にふさわしい口ではない」と言わしめます。

 ツァラトゥストラの肯定とは、子どもの神聖な肯定であり、それは畏敬の精神が、自由の精神を経て到達する、遊戯する子どもの境地なのです。最後の人間があるがままの自己肯定を提示したことに対し、ツァラトゥストラは自己超克としての自己肯定を語りました。

 ニーチェが語る肯定は、すべて、現存の人間のあるがままではなく、人間を超越する境地での肯定でした。この子どもの境地とはどのようなものか、更に考えてみたいと思います。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』2

 今日は阿字ヶ浦クラブで集まりがあり、午後から参加していました。中学生たちが合宿していましたが、「船橋市立海神中学校様」と表示板が立てられていました。ブラスバンド部の合宿だそうです。明日水戸市で行われる大会に出場するとのこと。ビーチにつながる庭に集まってはしゃいでいる生徒さんたちの向こうに、暮れていく海が見えました。

 さて『ツァラトゥストラ』第1部は、1881年8月に「永遠回帰の思想、およそ到達しうる限りの最高のこの肯定の定式」に襲われ、それから18カ月後に成立しました。成立自体が詩的ですが、この本自体、詩的・音楽的なものと言われます。1900年前後の青年たちの心を捉えたものです。もっとも、ガーダマーは、1930年代の青年たちにとってはあまりに仰々しくて、空々しく響いたと書いています。しかし、ニーチェが自らの思想(永遠回帰)をこういう形でしか表現できないと考えたことは事実ですし、そうだろうなぁと思います。

 第1部は10日間で書き上げられ、その最後の部分が書き上げられたのは1883年2月13日、ヴァーグナーヴェニスで亡くなった時刻ときっかり同じだったと書かれています。第1部は6月上旬に刊行されました。そして、6月末から7月初旬にかけてジルス=マリ―アに滞在して、14日間で『ツァラトゥストラ』第2部を完成させます。この第2部は9月に出版されました。そして翌1884年1月、またしても10日間で第3部が書き上げられます。場所はニースでした。ニーチェはこれをもって『ツァラトゥストラ』は完結されたと考えていたようです。第3部は3月末に刊行されています。

 現存の『ツァラトゥストラ』第4部は、別のツァラトゥストラ物語の第1部として構想されたようです。読んでいても、第4部は何かその前と調子が変わっていて、違和感がありましたが、それは別の物語の始まりだったからだと分かると納得します。第4部は1884年秋から書き始められ、途中病気による中断があり、最終的には1885年2月にニースで完成させられました。この第4部は最初私家版として40冊だけ印刷され、7人の友人に送られました。第4部が公刊されるのは1992年になってからで、すでにニーチェは精神に異常をきたした後のことです。

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      8月27日 クルクマ(ピンクの花)・ワレモコウ・クロトン・ポトス

「居る場所」を変えること

 今日で8月も終わりです。7月から新しい施設で働き始めて、あっという間に2カ月が経ちました。老いをどう生きるか、どこで最期の時期を迎えるか、いろいろ考えることが多かったです。

 状況によって、必ずしも自分の家で最期を迎えられないことはあります。それでもできるだけ、地域に根ざした自分の家での生活がベースになることが望ましいのでは、と思います。それを周りがどう支えられるか、そこに課題があります。

 それと本人の周りとの関係づくり。新しい環境に自分から入って行った人たちの方が、上手く行くのかもしれないと思わさせられる例を最近見聞きします。そこには、新しい環境に適応しようとする自分の意志が働いているからだと思います。そういう積極性や自発性は、生き生きとした関係性を築く原動力になるのでしょう。さらに自分のやり方に拘らず、自分を変えて合わせていこうとする部分も当然重要で、年齢を重ねると苦手になっていく部分です。

 幾つになっても、感動することは重要だと思います。場所を変えることはその感動を呼び覚ます、最も効果的な方法なのでしょう。だから旅することは感覚をリセットするのに役に立つわけです。さらに移住となれば、日々発見なのでしょう。もっとも、上手くその場所に適応出来れば、なのでしょうが。

h-miya@concerto.plala.or.jp