宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

優生思想

 旧優生保護法(1948年~96年)の下で、障害を理由に不妊手術を強いられた人たちに社会的注目が集まり、救済措置の流れができ始めています。

 旧法に基づき強制不妊手術を受けた人は1万6500人に上るとされます。そのうち、個人が特定できる資料が残っているのは約25%。今年1月に宮城県内の60代の女性が、手術に関する資料の開示を受けて、全国初の国倍訴訟を提起しました。これがきっかけとなって、国会議員の間では救済立法をめぐる議論が起こり、国は全国的な実態調査に取り掛かりました。

 旧厚生省の衛生年報などによると、手術件数は1955年がピークです。57年に旧厚生省は各都道府県に手術の実施件数を増やすことを求める通知を出しています。これは手術の減少傾向に歯止めをかけたい狙いもあったのではと推測されています。この通知には56年の都道府県別の手術件数の一覧表が付けられ、「極めて不均衡」と実施件数のばらつきを指摘し、積極的手術を求めています。北海道が最多で312件、岡山127件、大分111件で、最少は千葉、秋田など8県のゼロでした。茨城県は1件です。北海道は96年度まで、事業方針に手術目標や予定人数を掲げていたことが分かっています。

 旧優生保護法は、1996年に優生政策的なものが一掃され、母性ないし母体保護のほうを残して「母体保護法」に改正されました。中絶条件に経済的理由が挙げられていることは現在でも問題として取り上げられますが、旧来の優生思想に対してはけりがつけられたと考えられています。

 旧来の優生思想の背景をなす優生学(eugenics)は、19世紀から20世紀にかけて大いに流行した社会ダーウィニズムの一典型です。チャールズ・ダーウィンの弟子フランシス・ゴールトンが1883年に作り出した言葉で、ギリシア語で良い、力強いの意を表すeuあるいはesusと、誕生、血筋の意を持つgenosからなる造語です。1904年第1回イギリス社会学会で「優生学――その定義、展望目的」という有名な講演を行い、「ある人種の生得的質の改善に影響を及ぼすすべての要因を扱う学問であり、またその生得的質を最善の状態に導こうとする学問」と定義しました。

 ゴールトンの思想はイギリスでよりもアメリカで広く受け入れられ、アメリカは優生断種のための法律をもっとも早く取り入れ、威力を発揮しました。1931年までに全米30州で断種法が成立、この思想は移民制限の論拠にも用いられます。1924年に成立した絶対移民制限法は<劣った人種の移民の増大で、アメリカ社会の血全体が劣悪化するのを防ぐ>とする法律。65年の移民国籍法で全面的に解消されました。

 ドイツでは1895年に出版されたプレッツの『民族衛生学の基本方針』が出発点。これは優生学社会主義の理想を合体させようとするものです。1920年代、カイザー・ウイルヘルム人類遺伝優生学研究所が開設され、ナチス時代に一気に拡大します。ヒトラーは国家を生物学的人種が構成する民族共同体と考え、優生学はその構成員の遺伝的健康の保全にあたるものとされ、ナチス政権下で大きな役割を果たします。ナチス政権成立直後、優生裁判所制度を導入した断種法が成立、56000件以上の断種が行われました。その後ゲルマン民族至上主義と反ユダヤ主義的政策が強化されていきます。

 日本でも優生学は明治時代末から、徐々に知識人の関心を引き始め、1930年に日本民族衛生学会が発足し、優生学を大きな柱とした機関誌『民族衛生』を発刊しています。ただし日本では、従来の衛生学や公衆衛生学的施策を実施していくのが精一杯だったようで、太平洋戦争中には、ナチス断種法に倣った国民優生法を成立させましたが、ほとんど機能しないまま敗戦。国民優生法は1948年の優生保護法として再生します。そして1996年、強制優生断種の性格を残す部分が削除され、母体保護の名による中絶の条項だけを残すもの(母体保護法と名称も変更)となりました。

 優生思想は、現代の常識では批判の対象であるといえるかもしれません。しかし、劣った子孫の出生の防止のための断種という消極的優生学を、人権侵害で差別的と批判する風潮とは別に、出生前診断が可能になった現代、胎児診断による選択的中絶はどう考えたらいいのでしょうか。

 また、現代の遺伝子学の進歩がもたらしている課題、遺伝性疾患の治療を遺伝子レベルで行うことの是非。現在では治療は体細胞のみに限っていますが、生殖細胞をいじることでしか治療につながらない場合、そしてその安全性がある程度確保された場合、どうなるのでしょうか。生殖細胞をいじることで、より優秀な子孫を作るための遺伝子改良や遺伝子整形といった、積極的優生思想と向き合う必要が出てきます。まだ、SFの世界のような気がしてはいますが。

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