沖縄の唄で、安里屋ユンタがあります。これは竹富島(八重山列島)の労働歌(ユンタ)から来ています。この古謡を標準語で改作し(原曲の歌詞の直訳ではありません)、レコード化したものを「新安里屋ユンタ」とも言います。日本各地で知られているのは、これです。
ユンタは労働歌の一種で、田植え歌として歌われました。楽器は使わずに、男女掛け合いで歌ったようです。古謡「安里屋ユンタ」は、琉球時代の竹富島に実在した絶世の美女、安里屋クヤマと、彼女に一目ぼれした王朝から派遣された下級役人のやり取りを面白おかしく描いています。クヤマは役人からの求婚をはねつけます。
竹富島はのどかな南の島というイメージだったので、過酷な人頭税(負担能力関係なく頭割りで課される税)の話とか琉球王国からの植民地的扱いとか、調べていて驚きました。沖縄ということで、私も一括りに見ていました。
先島(さきしま)諸島は宮古列島と石垣島を中心とする八重山列島の総称で、先島とは沖縄本島より先にある島々という意味です。沖縄本島と先島諸島はかなり離れて(沖縄本島から宮古島まで約300キロ)います。沖縄本島の住人は、先島の人たちを下に見ているところがあるとのネット情報。考えてしまいました。
先島諸島への人頭税は1637年からかなり過酷になったようです。1609年に薩摩が琉球を侵略し、その結果、琉球王国の財政が圧迫されました。琉球王国は対策として、宮古・八重山両地方の人頭税を重くしたというのです。琉球王国自体にも、似たような制度が導入されていた可能性は高いそうです。ただ、先島諸島は琉球王国の植民地だったので、より過酷に取り立てられたようです。
もう半世紀近く前の大学生の頃に、西表島(八重山列島)に友だちと4人で旅行して、言葉が全然分かりませんでした。大阪から船で石垣島まで行って、そこからまた船で西表島へ行きました。イリオモテヤマネコを見たいということで計画を立てて行ったのですが、見ることは出来ませんでした。当たり前か。その時、与那国にも行ってみたいね、と話していましたがそれっきりになっています。
沖縄本島と宮古島と石垣島では、それぞれ言葉が全く異なるようです。言葉が異なるというのは、文化が異なっていることでもあります。現在、そこまで違った言葉をしゃべる人は少ないそうですが。良くも悪くも、テレビの普及と学校教育による標準語の普及の結果なのでしょう。
また本島の北部、国頭(くにがみ)地域は山原(やんばる)と言われますが、ここも戦前の那覇では差別的な扱いを受けていたようです。都会人の地方蔑視感情として、戦前那覇署長を務めた仲村謙信さんの証言が紹介されていました。
国頭郡本部町には沖縄美ら海水族館があります。世界有数の大きさを誇る「黒潮の海」水槽は、一度見てみたいです。沖縄の自然や文化に心惹かれる人たちは、私の周りに大勢います。
しかし、沖縄の基地問題に象徴されるような負担構造の問題を考えると、沖縄の人たちはしんどいなぁと思ってきました。遡ると、薩摩の琉球侵攻(1609年)から始まり、明治政府による琉球処分の問題にぶつかります。琉球王国は独立国でしたが、薩摩と清と両方に朝貢をする両属関係にありました。琉球処分とは、琉球王国を琉球藩にして(1872年)、冊封関係を持っていた清から切り離し、廃藩置県で沖縄県にした(1879年)一連の流れのことです。
冊封関係とは、中華思想から来ていますが、中華王朝と周辺国が形式定な君臣関係を結ぶこと、外交関係です。中華王朝から、「あなたをその国の王と認めるよ」とお墨付きをもらうのです。日本でも卑弥呼が「親魏倭王」の金印をもらった話とか、足利義満が明に朝貢して、「日本国王」の称号をもらい、明との貿易で利益を得た話とか、そう言えば歴史でやりましたよね。
琉球処分には当然、清は猛反発し、最終決着は日清戦争(1894-95)後に着きました。安里屋ユンタから沖縄のことを色々調べ、考える機会になりました。
