宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『反共感論』

 ポール・ブルームの『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』(白揚社、2018年、原書版2016年)を読み始めました。ちょっとセンセーショナルな題名に足を止めたのと、私自身、共感とか思いやりが道徳にどういう役割を持っているのか、ずっと気になっていたためです。感情の役割については、戸田正直さんの『感情――人を動かしている適応プログラム』も気になっていますが、まずは共感について考えておこうと思います。

 共感については、「対人性反応性指標(IRI)」:共感力を客観的に測定するテスト、というものがあります。これは共感を4つの側面に分けています。最初の3つが情動的共感と言われます。①「共感的配慮」:他者の幸不幸に共感する気持ち、②「空想」:フィクションの人物に感情移入する傾向、③「個人的苦悩」:他者の不幸な境遇をわが身に置き換えて恐怖を感じる傾向、です。④「視点取得」:他者の立場に立って物事を自然に考えることができる、は認知的共感と言われます。

 ブルームがとりわけ問題視しているのが、情動的共感です。彼は用語の定義を巡る議論が嫌いだと言っていますが、自分の立場を明確にするために共感を次のように定義します。「他者の感情の反映(ミラーリング)という意味に言及する用語としては、『共感(empathy)』がベストだと考えている」(52頁)と。ブルームは、道徳の核にこのような感情の反映を持ってくることは危ないと批判するわけです。感情に引きずられて判断を誤る、ということを言います。しかし、道徳的判断の指針としてはふさわしくないが、動機付けに戦略的に動員できることには疑いを持たない、とも言います。

 認知的共感に関しても、道徳的判断の指針にはならないと主張します。認知的共感の有用性は否定しませんが、没道徳的な道具(ツール)だと言います。なぜなら、他者の気持ちがわかる悪人は始末に悪いからです。

他者の心を理解するという点では、いじめっ子は通常の子どもにまさる。人を嫌がらせるにはどうすればよいかをよく心得ているのだ。だからこそ実に効果的に他者をいじめられるのである。 (49頁)

 ブルームは最善の結果は理性に依拠することで得られると考えています。共感を否定するというのではなく、それの道徳との関係における位置づけを過大評価することへの批判と言えます。

 最初の辺りを読んだ限りでは、それほど極端な主張をしているとは思われません。道徳の核に共感を置くという議論自体、極端であって、その意味ではブルームは妥当な主張を展開している気がします。本の題名がセンセーショナルなだけで、どうも内容はそれほど驚かされるものではなさそうです。最後まで読んでみないと分からないかもしれませんが、共感に関して整理するにはいい機会かなと思います。

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