宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

感情的対応

 木曜日は夕方から雪混じりの雨になりました。あまりの寒さに、もっと重ね着してくればよかったと思いながら、図書館に本を返しに行きました。すぐ退館するつもりが、本のタイトルを読んでいるうちに、何冊かピックアップして借りてきました。4月からの授業のために、「心・魂」についてと、情動(感情)の意義についての本を借りてきました。

 社会心理学戸田正直さんの『感情:人を動かしている適応プログラム』の最初のあたりで、感情の本来の機能について次のように書かれています。

環境状況に応じて適切な状況対処行動を個体に選択させることによってその生き延びを助けることと考えられる。

  環境は、野生環境と文明環境では問題の質が異なり、それゆえ適切な状況対処行動も異なります。まだ読み始めたばかりなので、理解が間違っているかもしれませんが、野生環境の場合、本当の意味での「新しい」状況はめったに起こりません。その意味で、長い歴史的時間の中で、適切な対処行動を遺伝子レベルで完成させていくことが可能だったのではないか、というのです。そして、感情はこの対処行動を始動させていく役割を担っているのではないか、と。

 アサーションにおいて、自己表現には三つのタイプがあります。一つ目は非主張的・受け身的なもので「私はOKでない、あなたはOK」という態度です。もう一つがそれと対をなす攻撃的なもので、「私はOK、あなたはOKでない」という態度です。アサーティブな態度とは、「私はOK、あなたもOK」で、相手を責めない伝え方が「わたし文(アイ・ステートメント)」です。

 アイ・ステートメントとは、例えば、子どもが夜に大きな音で音楽をかけているときの対処法で説明するとこうなります。つい私たちは「何時だと思っているの。近所迷惑だし、うるさくて何もできないでしょう!」と強い口調で叱りつけます。アイ・ステートメントだと必ず「わたしは」が入ります。「夜に大きな音は他の人に迷惑だと、お母さんは(お父さんは)思うよ。仕事があるし、音のボリュームを下げて欲しいんだけど」と。

 何かに怒りを感じるとき、私たちは「私は~に怒りを感じる」と自分の気持ちを、「私」を主語にして表現すると、ワンクッション置くことができます。それをしないと、「誰が」の部分が一般化されてしまって、自分の怒りの正当化に走ります。自分にとっては妥当な怒りも、他の人にはそうではないかもしれない、という批判的な見方が出来なくなります。

 感情的になっているとき、私たちは攻撃的になったり、極度に被害者意識に捉われて萎縮します。攻撃的になるのは「私」の「怒り」が引き金になっていると考えられます。こう考えると、アサーショントレーニングは、人間の感情的対処行動が文明的環境の中で出す軋み音への対処法なのでしょう。

 感情的対応は、私たち人類にとって根源的な状況対処行動と結びついていると考えると、人間関係を難しくさせると同時に面白くもさせているものでもあることが分かる気がします。もっとも個人的に苦手な関係はやはり苦手でしょうが。

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