宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

和魂洋才の現在

 和魂洋才とは何か。和魂漢才という言葉もあるようです。和魂漢才とは、「日本固有の精神を以て中国から伝来した学問を活用することの重要性を強調していう」(『広辞苑』)とあります。どうも「和魂〇才」とは、日本の外来文化の吸収の仕方を表現するものと言っていいのでしょう。

  日本の近代化はヨーロッパをモデルとしましたが、日本にとってのヨーロッパ化、すなわち近代化は欧米からの侵略の脅威に抗するためのものでした。中国文化の吸収の過程でも、危機的事態はあったのかもしれません。ただ、中国文化の吸収は長い時間をかけて、かつ中国からの侵略の脅威とはほぼ無縁に(日本から中国に遣隋使や遣唐使を派遣)進行したのではないでしょうか。

 これに対し、明治期の急激な近代化は欧米列強からの侵略の脅威に抗して、時間的切迫度の中でなされました。当時の明治政府の要人たちには、侵略の恐怖で目が覚めるという経験があったと、犬養道子さんが何かで書いていました。

 ところで、近代化のモデルであったヨーロッパは、あくまで歴史的実体であって、それをそのまま日本で実現することは不可能です。そこで日本のエリートたちは、ヨーロッパを歴史的実体としてではなく、導入可能な機能の体系とみなしたのです。

したがって、当時の日本においては、いわゆる機能主義的な思考様式が非常に強調されたわけです。そういう思考様式の確立を最も推進したのは、福沢諭吉でした。実際は、歴史的実体としてのヨーロッパを機能の体系として捉え直すということには非常な無理があるわけですけれども、とにかく機能の体系としてのヨーロッパは日本独自のものとしてあったと思われるわけです(三谷太一郎『人は時代といかに向き合うか』東京大学出版会、2014年、252頁)。

  この機能主義的な思考様式は、今もあると思います。第2次世界大戦後、日本がモデルとするものはヨーロッパからアメリカへと変わりました。ここでもアメリカという歴史的実体と切り離して、民主主義とプラグマティズム哲学及び実学の伝統を、機能として受け入れようとしたわけです。その結果、目先の経済効果を追い求める風潮が加速したと思います。これはどうも日本の傾向というより、世界的動向ですが。

 心は和魂として別にある、だから技術や知識を効率的に機能として取り入れればよい。というのが和魂洋才の考え方なのでしょう。では和魂とは何か。神道の精神に象徴されるような何ものかなのでしょうか。しかし、一般の人間に神道はそれほど関わっているのでしょうか。今や神棚のない家もあります。祭りもフェスティバル化しています。そもそも心の在り様と技術や知識を切り離すことに無理があります。それは相互に浸透し合い、構築し合うものです。

 「仏作って魂入れず」。日本は、今、そういう在り様をしている気がします。それは、明治以来の機能主義的な思考様式の優等生日本の結末なのかもしれません。

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            昨年12月4日のイソギク 

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