宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

茨城県立近代美術館『名作のつくりかた』

 パソコンの設定に手間取っている間に、7月が終わります。あっという間でした。昨日、茨城県立健康プラザでシル・リハ体操指導士3級フォローアップ研修会がありました。その帰り、茨城県立近代美術館に寄って来ました。美術館は本当に久しぶりです。企画展は『名作のつくりかた 横山大観菱田春草、中村彝‥』でした。何なのかな、と思って入ってみましたが、引き込まれました。中村彝(1887-1924)の静物画がセザンヌの影響を受けていることや、視点が複線的になっていくことの説明と一緒に年代別に飾られていて、なるほどと思いながら鑑賞。

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     1919年制作。これはセザンヌの影響がよくわかる絵だそうです。
 

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       カルピスの包み紙のある静物(1923)。タッチがかなり繊細になっています。

 じっくり見させる仕掛けとそれに乗るこちらのゆとり。上手く合うと、美術館の企画は楽しめます。それにしても、一つの作品の背景にある膨大な下絵。浦田正夫の『古壁』には圧倒されました。福島県福島市の岩谷観音を描いたものですが、一つの作品が出来上がるまでの試行錯誤。何を思って作品を作るのだろうと考えてしまいました。ふとハンナ・アレントの「不死なるもの」という言葉が思い浮かびました。

 ソクラテスは「永遠なるもの」に焦点を当てました。ギリシア哲学が最高の価値を置く「観照」という言葉は、永遠なるものの経験に与えられた言葉です。ローマ帝国の没落によって人間の為すことは不死ではありえないことが立証されました。そしてキリスト教の福音によって、永遠の命が説かれました。こうして、<活動的生活>と政治的生活は「観照」の侍女になり下がった、とアレントは嘆きます。彼女は、<活動的生活>の源泉であり中核であるものは、不死への努力、と捉えています。近代以降も、不死への努力は救い出されていない、とも彼女は言います。

 私たちの活動の究極の形は、「不死なるもの」を得ようとすることなのか、浦田正夫の展示された制作過程を見ながら、思いました。不死なるものと永遠なるものの違いは何なのか、直観的には分かる気がするのですが。

h-miya@concerto.plala.or.jp