宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

新しい生活様式に向けて

 知り合いからのメールへの返信です。彼女は、さまざまな差別や暴力の問題に、ヒューマニズムを根底におきながら柔軟に対応できる活動にしていきたいと書いています。私自身はどうしたいか、それをまとめて少し長くなりました。書いておかないと忘れるので。

 

1)政権批判に対し、その後どうするか?

 フェイスブックでのやり取りで、現政権の政策批判を演劇系の人がしています。納得なのですが、では、私たちは何をするか。

  生活人としては、政策を自分たちの生活と連動させて感じ、受け入れたり批判したりします。でも、安定を望む生活人の姿勢が基本にあり、これは当たり前です。共同体の基盤が強い場合、おそらくお茶飲み話で、政治への批判を共有する(した)のでしょう。 

 現在の自民党の安定度の高さは、共同体が揺らいでいるせいで、一般の生活人は、政治の枠組み自体の揺らぎを忌避するのかもしれません。政治が変わることで自分たちの生活がどうなるかがイメージできない。拠り所をさらに失うのではないかという不安がある。より悪くなるよりは今のままがいい。おそらく、選挙の選択肢への向き合い方は、より悪くなることを避ける、ではないかと思います。革新は難しい時代ですね。自分たちの生活の土台がしっかりしていれば(あるいは生活の状況がもっと酷ければ)、変えることへの恐れも弱いのでしょうが。

 新型コロナの生活は、ある意味、変革への否応ない後押しではあります。ただ、これとどう向き合うか。身近な関係の見直しの機運にはなっているのかもしれません。もう一つはオンラインのつながり方を強化する機運にはなっていますね。水戸市と沖縄はオンラインなら会議ができます。

2)横のネットワークの構築と強化:自助・共助を自分たちで

 下からの変革は、横のネットワークの強化をいろいろな形でやる必要があると思います。ネット住民は何かのきっかけでうねりを起こします。ただし、ここは、気を付けないと操作されます。肌触れ合う関係(コロナで難しい状況ではありますが)のベースがもう一方にしっかり構築される必要があります。

 自助・共助・公助という言葉がありますが、自助・共助を自分たちでどう構築するか。財政政策としてボランティア要請が強くなっていますが、ボランティアはそんなに簡単にできないし、善意だけをあてにすると当然うまくいきません。

 自分たちで自分たちの生活をどうしたいか。自分たちにできることをやった上で、それぞれが、理にかなった形で公助を要請していく。そういう自主的生活様式がいろいろな場所で立ち上がれば、そこから当然、政治家に要請する内容が変わっていきます。

 日本人は、公的にやってもらうことを当たり前として、自分たちにいいことをやってくれる政治家を求めてきたと思います。そして自分は私的生活をエンジョイする。中間が抜けたまま。

 従来の共同体のトップダウン方式にも問題があり、地域共同体はどこも若い人間が関わることを避けます。でも彼らも自分たちでは動かない。動き方の教育がどこでもされていないし、動くと共産党になってしまう。

3)新しい生活様式に向けて

 県立健康プラザ管理者でシルバーリハビリ体操の創始者である大田仁史さんが、茨城新聞に連載している「リハビリ忍法帖」のなかで、「強い心、弱い心」(2019年12月11日)という文を書いています。病んで心が弱る。その弱い心とは思いが過去にのみ向いている心ではないか、強い心とは将来に目が向く人の心だというのです。「身近な近未来的なことから、次第に目標が遠くに向くようになる心」と。

 年を取ると出来ることや希望が狭くなっていきますが、逆にその狭さの中では絞られることで思うことが強まる。

 その強さが老害とならないよう気を付けながら、でも、つないでいきたいもの、残したいものを明確にしながら行動したいものですね。

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  7月14日久しぶりにお花の会(山百合の会)で集まれました。紅い実はヒペリカム、黄色いのが(宿根)チース、カラー(中に針金を通してあります)、ニューサイラン

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