宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

儀式

 今日22日は「即位礼正殿の儀」が行われ、休日になりました。この儀式は天皇が即位を内外に宣明する儀式で、即位の礼の中心になるものです。諸外国の戴冠式にあたります。儀式の様子は、テレビで生放送されていました。厳かな雰囲気の中、粛々と進む儀式の様子を見ていて、儀式の意味を考えていました。

 宗教には儀式がつきものですが、社会生活一般に儀式は付いて回ります。個人的には、お宮参りから始まり、入学式、入社式、成人式、結婚式、葬式。共同体では祭が欠かせません。何か行事をやるときは、開会式と閉会式があります。区切るという意味合いはあるかなと思いますが、何のために?

 親戚の伯父は、自分が死んだらその辺りに放られても構わない、という言い方をします。生きているときどうしてもらうかの方が大切、という意味だと解釈しています。葬式は、現代では段々と簡略化されてきていて、特に高齢でなくなったときは家族葬で済ませる場合も多くなった気がします。

 文化人類学的には、カオスを整理して、自分や何ものかを位置付けるために儀式は存在すると捉えるようです。日本では、成人式は形式的なものになっていますが、人類学的には、子どもと大人という質的に異なる在り様への変容を導き出すための試練として、成人式があると捉えるようです。

 確かに還暦のお祝いという儀式は、自らが社会的にどういう位置にいるかを確認させられるもの、とも言えます。自分ではいつまでも若いつもりでも、そして昨日と今日は地続きなので、いきなり還暦と言われてもピンとは来ません。生きているものはいきなりピンポイントで変わったりはしません。もし変わるとすると、それは緊急事態です。徐々に少しずつ変化して、気が付いたら大きく変わっている。儀式は人間の一生の変容を(経験的な意味で)統計的に捉えて、区切りとしてある時点を指定してくる。

 社会的儀式の場合は、やはりカオスのリセットの意味が強いのかもしれません。例えば天皇の即位とは、前天皇が退位したり崩御してその位置が空位になり、そのために生じたカオスをリセットするとも言えます。

 祭りはどうか。社会生活の疲れから生じてくるカオスを、ごちゃまぜにして騒いで盛り上げ、リセットする、とも言えるかもしれません。開会式や閉会式は?

 儀式に出席していると、肩が凝って来て、ということも多いですが、それでも私たちは儀式を続けています。そこにはやはり何らかの意味があるからなのでしょうね。

h-miya@concerto.plala.or.jp