宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

老いを生きるちから

 台風10号の影響で、水難事故が相次いでいます。北日本はお盆休みの期間がどうも引っかかりそうです。台風が通過した後は、また猛暑のぶり返し。😥 まあ台風は今までもありましたから、仕方ないと思うものの、猛暑は身体に堪えます。冷房の中から、外に出る瞬間のあのもわっとした暑さのダメージも大きいです。

 高齢期を生きる人たちに接することが多い毎日、そして自分もまた高齢者の仲間入りをしています。日本の一般庶民のイメージは、勤勉でまじめというものではないでしょうか。寿命が伸びて、社会的一線から引いた後の生活は、余生というには長すぎるようになりました。さてそこで何をするのか。それはそのときになって考えても、遅いのですが、そのときにならないと分からないことも多いのが現実です。

 今思うのは、高齢者は社会が大切に保護すればいいというものではない、ということです。かと言って、政府が旗を振るような「働ける人は働きましょう」でもありません。高齢期に大切なのは、他者と共存する力を育ててきたかどうか、楽しむ心を育ててきたかどうかではないかと感じます。そして、教育の中でそういう力を育ててきたのかどうか。

 東京新聞8月3日のインタビュー記事「あの人に迫る」で取り上げられていたのはブレディみかこさんでした。イギリスで保育士として働きながら、多くの著書を書いています。彼女は、英国内で年収・失業率・疾病率が最悪水準と言われる地区の無料託児所で働いています。そこでの体験から生まれた『子どもたちの階級闘争―ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)が、2017年に新潮ドキュメント賞を受賞しています。ご本人は、保育士の方が天職と自負しています。

 彼女の言葉で納得したのは、息子と彼の友人との「それでも友達」関係。友人のダニエル君の差別発言で息子さんとけんかになったりするけど、それでも友達。「大人は『こう言われた、もう知らない』ってなるけど、子どもはなんか一緒にやっていくんですね」。うーん、そうなんですよね。そして大人たちがしたり顔でどうせだめだよ、というような問題も軽く飛び超えていくと思わせてくれる。子どもたちを見ていると、未来はそんなに悪くないと思える、と。私も子どもたちに接しているとき感じるのは、やはり未来に向かう力です。その力をきちんと育てているのか。教育に問われているものだと思います。

 2010年以降、イギリスは保守党政権になってからの緊縮財政で学校は苦しい状況に陥っているそうです。それでも声をあげる訓練を小学生から繰り返し教えると言います。ブレディさんが上げていた、考えの違う相手の立場で考えさせる「シチズンシップエデュケーション」は、生きていく上での基本になる人権教育だと思います。言葉で「相手を思いやる」というだけでは身に付きません。考え方の違う、感じ方の違う他者との共存は、共同生活をするときの基本になるもの。小さい頃からの訓練が大きいと思います。

 共同生活では、相手に合わせればいいというものでもない。自分の立場と相手の立場を調整できる力が、一人ひとりの中に育っている必要があります。そして同時に、「笑い」「遊び」がキーワードとして出てくる。介護施設においてレクリエーションは大切な要素ですが、レクが上手く行くか行かないかには、レクの導入、指導する側と参加者の関係性、また参加者同士の関係性など、さまざまな要因があります。そして、どういう遊びをデザインするのかを考えるとき、高齢者の場合は、発育ではなく「喜び」や「体力維持」だと思います。

 ブレディみかこさんは、保育で大切なことをこう言います。「子どもをじっくり観察してそれぞれの発育を促す遊びをデザインすること」と。それだけに日本の保育現場の「三歳児二十人に保育士一人」という基準に驚いたと言います。安全確保にも足りない気がしますが、確かに私たちには「遊び」の意義を軽視する傾向があります。

 老いを感じるのは身体に色々故障が起きてくるときですが、同時に意欲を失っていきます。遊びとは自発的なものです。遊び上手は老い上手なのかどうか、気になっています。

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            8月7日の風景

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