宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

感動すること

 元号が、平成から令和に変わりました。ここのところ、前天皇・前皇后両陛下のこれまでの活動が盛んに報道されていました。その中で、災害にあった人たちへの両陛下の寄り添いが取り上げられていました。お二人からの励ましで、ここまで頑張って立ち直ってこれたという人たちの報道に接するたびに、そこで起こっていたことは何なのだろうと気になっていました。その励ましは、特別な感動を与えたということだと思います。そしてそういう感動が持つ力をどう理解したらいいのか。

 茂木健一郎さんが「感動」ということをよく取り上げています。『脳が変わる考え方』(PHP研究所、2010年)の中で、感動というのは優しく悩が傷つけられて、それが癒えるのに何年もかかることだ、というようなことが言われていました。彼はアインシュタインから受けた衝撃が自分の人生を決定し、いまだに自分の人生の課題になっているというのです。

 人生で何か意味あることを達成するとき、倦まずたゆまずの努力を必要とします。そういう力を齋藤孝さんは「退屈力」という言い方をします。退屈とは何かと言えば、刺激のなさに味気なさを感じている状態と言えるでしょうか。バートランド・ラッセルは『幸福論』岩波文庫の中で、退屈の反対は興奮だと言っています。そして興奮が多すぎると、(単調さそのものにメリットがあると言っているのではなく)実りある単調さに耐えることが出来なくなってしまうと言うのです。ある種のよいものは、ある程度の単調さの中で可能になると言います。

 「退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠であり、若い人たちに教えるべき事柄の一つである」(68頁)

 齋藤さんの言う退屈力とは、そういうある種の単調さに耐えて、地味な作業を積み重ねることで技を掴み、本物の感動を手にする力のことです。武道の「型」の習得は、ある意味つまらないとも言えますが、ここで基本を習得することで応用力や我慢力が身に付きます。この基本を繰り返す力、一見刺激がなく退屈に思えるものにコツコツと向き合う力が、退屈力。

 日常の仕事や作業には、もちろん、一つひとつの積み重ねの中に、小さな喜びはあると思いますが、それを飽きることなく続けるには、その最初のきっかけが、そしてその努力を支え続ける何かが必要だと思います。それを「感動」と表現してもいいのかもしれません。

 災害の中で茫然自失、これからどうしたらいいのか分からなくなっている人々にとって、特別な存在からの温かい励ましは、脳を優しく傷つける「感動」となったのではないでしょうか。そして、一見、先が見えず絶望してしまうような状況の中でも、倦まずたゆまず努力し続ける退屈力を発揮させ得る原動力であり続けている。人が人から、ものではない何かを受け取る。そこには凄いものがあると思います。

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