宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『君たちはどう生きるか』

 名古屋にいた頃からのお付き合いのご夫婦に、干しイモを送ったら、旦那様の方からお礼状と一緒に哲学カフェでのやり取りメモが送られてきました。Hさんとお呼びしたいと思いますが、彼は元新聞記者さん。メモは分かり易く、面白いものでした。

 哲学カフェで取り上げられたのが『君たちはどう生きるか』です。この漫画本がベストセラーになって、一時期本屋さんに平積みされていたそうです。研究会の帰りにお茶の水の古本屋街で探して見ましたが、ありませんでした。書泉グランデに漫画本と岩波文庫版、ポプラ社版などが置いてありました。

 Hさんは満州事変の年(1931年)に生まれ、旧制中学2年(14歳)のとき、敗戦になりました。本が出版されたのは、1937年(支那事変)です。元々山本有三が書く予定だったのが、眼を悪くして、吉野源三郎に回ってきたと、著者のあとがきに書かれていました。吉野源三郎は東京生まれで、東大の哲学科を卒業し、1937年に岩波書店に入社しています。戦後は『世界』の初代編集長をした人です。

 Hさんの話に戻ります。彼はこの本が出版されたころ、今でいうと小学1年生のころに、すでに軍国少年になっていたそうです。この本は言論統制が厳しくなっていく時代に、山本有三が少年少女たちを時代の偏狭な国粋主義や反動思想から守り、彼らに自由で豊かな文化があることを伝えたいと企画した『日本少国民文庫』全16巻の最後の配本でした。

 当日の哲学カフェの参加者は、彼以外は彼の子どもや孫の年齢だったそうです。漫画本を呼んで来た人から、「ナポレオンの評価」に違和感が出されました。「立派な人」と強調されていることに対してです。原本では、確かに彼の行為に対して「立派なこと、立派だわ」という表現が2か所ありますが、それ以外は「偉い、英雄的」が多用されています。そして上級生からにらまれている北見君への対応で、みんなで一緒に行ってそれでも殴ると上級性が言うなら、一緒に殴られようという浦川君の提案に、水谷君のお姉さんのかつ子さんが「偉いわ!」「それが英雄的精神よ」と応じています。コペル君の叔父さんが書いているコぺル君宛のメッセージノートには、ナポレオンに関して「非凡な」「偉人」「英雄」が多用されています。

 主人公のコペル君には「立派な人間」になって欲しいと叔父さんは願っています。ではその立派な人とはどういう人なのでしょうか。叔父さんは単純に非凡さや英雄性を言ってはいません。この後、コペル君は取り返しのつかないことをして悩みますが、その後悔の、人生に対して持つ意味が複線的に語られます。それは叔父さんのノートでは、パスカルの思索につながっています。

 立派な人とはどういう人なのか。この本の中では、社会的な生産関係の話にも触れられていて、単純な道徳訓ではありません。最後にコペル君は、「いい人間にならなければと思い始めた」と書いています。「立派な人間」と「いい人間」は同じなのでしょうか。これがカフェでは議論になったようです。これは同義語かどうか。結果は別だろうということで落ち着いたようですが、まだまだ議論は尽きないと、手紙のメモに書かれていました。

 本を持ってはいましたが、それも30年近く前に購入していましたが、ちゃんとは読んでいませんでした。読みやすい本で、時代背景を知ると、登場人物の動き方や考え方も納得が行きます。それと同時に、今でももちろん通用することが一杯書かれていて、分かり易い倫理の本だ思いました。そして確かに、哲学カフェで取り上げ易いものだなとも思います。何となく、お説教的な感じの本のように捉えて、敬遠していたかなと反省もしています。 

h-miya@concerto.plala.or.jp