宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

心を動かしながら、繰り返すこと

 今朝も雪が降りました。午前中降っていましたが、お昼頃には天気予報の通りに止んでいました。夜になっても曇りガラス越しに白く明るく、雪明りってこんなに明るいんだと感じます。

 昨日は寒くても陽が差していました。元同僚の告別式に参列した後、水戸で用事を済ませてから、年上の女友だちとサザでコーヒーを飲みました。サザの混んでいることといったら、お店と喫茶室の席が空くのを待つ場所は「立錐の余地もない」状態でした。「カンブリア宮殿」で取り上げられてからのようです。テレビの影響力のすごさを改めて実感しました。

 彼女と芸術、特にクラシック音楽を楽しむってどういう感じなのか、などおしゃべりしました。彼女の娘さんは声楽家です。娘さんの幼い頃からの習い事の送り迎えの一コマを話してくれました。娘さんは小さい頃、クラシックバレーも習っていて、あるとき、チャイコフスキーのくるみ割りの人形の砂糖の精の役をもらったそうです。迎えに行くたびに同じところを練習していて、かかっている曲は毎回同じなんだけど、それが何回聞いても心に染み込んでくるように美しかったそうです。

 ふと「読書百遍意自ずから通ず」という言葉を思い出しました。同じ意味ですが「読書百遍義自(おのず)から見(あらわ)る」という表現もあり、こちらの方が辞書にはよく載っているようです。何度も読めば、難解なものも自然に意味が分かるようになる、ということです。

 『三国志』(『魏志』王粛伝注董遇伝)から来ています。『三国志』は中国の三国時代後漢滅亡後の魏・呉・蜀鼎立時代(220年~280年)について、西晋陳寿が書いた歴史書です。陳寿が自分の見聞に基づいて書いたのは『蜀志』で、後の二つは他の人が書いたものを参考にしたと言われます。『魏志』は王沈の『魏書』と魚かんの『魏略』を参考にしたようです。董遇は魏の武人でしたが学問が好きな人で、ただし彼のもとで学ぶ者には教える代わりに、「書物は必ず百篇読まなければならない」、「読書百遍、義自からあらはる」といったと伝えられています。

 惰性で読んでいては何回読んでも意味は分かって来ないと思いますが、入り口として繰り返し読むことは必要でしょう。心を動かしながら繰り返すこと。そうすることで、向き合っているものが、心に染み込んでくる。読書だけでなく、音楽もそうなのかなと思います。 

h-miya@concerto.plala.or.jp