宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「みんなちがって、みんないい」

 朝起きたら、うっすらと雪が積もっていました。天気予報は当たったなぁ。でもお日様の力で、午後にはほとんど溶けていました。空気は冷たかったですが。リハビリのために水戸に行って来ましたが、雪は残っていませんでした。

 昨日から、金子みすずの『わたしと小鳥とすずと』の最後、「みんなちがって、みんないい」が気になっています。この行が、スッと入ってくるのは、その前の展開の力です。

 最初が小鳥との比較。飛ぶことと地べたを走ることを比較しています。次が音なのですが、すずの鳴り方と私の知っているたくさんのうたの比較。この2連目が素敵です。

 「わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴るすずはわたしのように たくさんのうたは知らないよ」

 この三つをどうして比較したのかなぁ。

 なぜこういうことを考えているのかというと、認知症高齢者の生き甲斐をめぐる問題を考えていたからです。あくまでも支援する側からの推測なのですが。

 多様な在り様を認めることは人間の尊厳の基本です。人権を守るために人間の複数性を承認するのは正義に適っています。どういうことかと言えば、私が誰かを嫌いであろうとどうであろうと、その人の基本的な権利は守られなければなりません。人間の複数性の承認、それは正義の根幹です。

 病気の人に親身に対応するのは、ある意味、人間的思いやりです。明日は我が身、という同情や人間の傷つきやすさへの怖れの感覚、そういうものが共生の基本的感情だと思います。

 しかしそれは、金子みすずが「みんなちがって、みんないい」と表現した境地とは異なっています。認知症状を示している人たちにできて、私にできないことって何なのだろう。ふと、そういうことを考えています。

h-miya@concerto.plala.or.jp