宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

尊厳ある死とホスピスの思想

 授業で安楽死問題を扱いましたが、安楽死問題を考えるとき、尊厳ある死とはどういうことかが問題になります。安楽死運動では、死の自己決定権が重視され、安楽死の法制化が目指されます。しかし、ホスピス・緩和ケア運動では、「死にたい」と思っていた人が最期まで「生きたい」と思えるようなケア体制の確立が目指されます。

  近代ホスピス創始者と言われるのは、シシリー・ソンダース(ロンドン、1918年-2005年)です。彼女は看護師、ソーシャルワーカーとして働いていましたが、30代半ばで医師を志します。1950年代まで、モルヒネなどの鎮痛剤は中毒になり易く危険ということで、癌などの末期患者にも使うことを控える傾向にありました。医師としてソンダースは、モルヒネなどの鎮痛薬の定期的経口投与による、末期患者の身体的痛みのコントロール方法を確立しました。

 1967年、彼女はロンドンの聖クリストファー・ホスピスを開設しました。これが近代ホスピス運動の始まりと言われます。「ホスピス」という言葉自体は、中世ヨーロッパにおいて、主に負傷した旅行者にケアを提供していた宗教的施設のことを指していました。その後、19世紀末になり、フランス、アイルランド、イギリスで、死にゆく人のケアを行う施設を指して、この言葉は使われていたようです。

 聖クリストファー・ホスピスは、ホスピスケアの実践の場であると同時に、研究・教育機関であり、広報機関でもありました。1980年代以降、イギリスとアメリカを中心に、ホスピス・緩和ケアの思想と実践が急速に普及していくきっかけを作ったと言われます。また、聖クリストファー・ホスピスは寄付によって運営されている慈善団体で、入院費用は原則無料のようです。

 日本には1970年代に入って来ています。日本で最初のホスピス・ケアを提供する病床は、大阪の淀川キリスト教病院に設けられました。1973年に実質的ホスピス・ケアが始められましたが、これは柏木哲夫医師(1938年-)の功績によると言われます。独立の病棟としてのホスピスは、浜松市聖霊三方原病院に、1981年に開設されています。1990年には両病院が、日本で初めて緩和ケア病棟として承認されました。緩和ケア病棟という形でホスピス医療保険の中に組み込まれたことで、ホスピス・緩和ケアの社会的認知が進みました。ただ、日本ではこのようにホスピスが病院の一部として制度化されたことで「病院中心、医師中心」という、アメリカやイギリスのホスピスとは異なった特徴を与えたと言われます。

 イギリスの施設ホスピスはナーシング・ホームに分類されます。アメリカでの在宅ケアを中心とするホスピスでも、専門の看護師がケアチームの中心になります。日本では病院医療の延長として捉えられていて、「末期がん患者のための入院施設」という側面がクローズアップされ、どうしても緩和ケア病棟建設運動のような、ハードを重視した形をとらざるを得なかったと言われます。

 ホスピス・緩和ケアにおいては、最初にも書いたように、尊厳ある死を、安楽死運動の目標である死の自己決定権重視という形で考えることに反対します。ホスピスの思想では、尊厳ある死を生の完成と捉え、生き切ることでより人間らしい死に方を実現することを目指していると言えます。

 ここで重視されてくるのが生活の質(QOL)なのです。そのためにはまず身体の痛みがないことは、とても重要なことです。さらに一人で身の回りのことができること、周囲の人との人間関係が良好であること、経済的な不安がないことなども大切です。ここでは全人的痛みという概念が重要になります。この全人的痛みへの全人的ケアが問題になってくるわけで、これはホリスティック看護の実践でもあります。またこの問題は、自立・自律重視の人間観に対し、関係性重視の人間観の対比の中で考えることもできます。これに関しては、また別に考えてみたいと思います。

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