宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

幸福をめぐって4)自由と幸福

 バートランド・ラッセルは『幸福論』の中で、幸福な人たちの最も一般的な特徴として「熱意」をあげています。それは人間が持って生まれた資質の一部であり、外界への自然な興味を持ち続ける限り、人生は楽しい。ただし、自由を束縛されると人生への熱意を失うと言いいます。

 「文明社会に見られる熱意の喪失は、大部分、私たちの生き方にとって欠かすことのできない自由を制限されていることによる」(バートランド・ラッセル『幸福論』岩波文庫、187-188頁)。

 どういうことか。それは文明人の行動の動機が間接的であることによる制約です。私たちの日常生活は、行動への衝動から起こるのではなく、その行動の最後の報酬に対する衝動があるだけというのです。文明人は、生活のあらゆる瞬間に、衝動を制限する垣根に取り込まれています。こういう熱意への障害をどうやって乗り越えたらよいのか。ラッセルは「健康とありあまるほどのエネルギーが必要」だと言います。それと「運がよければ、それ自体面白いと思えるような仕事を持つことが必要である」と。これはとてもよく分かります。

 では、自由と幸福は本質的関係を持つのでしょうか。自由は幸福にとってなくてはならないものなのでしょうか。その自由とはどのようなもので、幸福とどのような関係を持っているのでしょう。ミルは個性の完成を幸福の重要な要素と考えていました。そしてそのためには自由が必要条件であるとします。ここでは幸福(福祉)と個性の関係が問題になります。自由は幸福の本質的要素と言うより、条件になっています。

 でも自由そのものに対する歓喜もありますよね。ただ、それに慣れてしまうと、いつの間にか感じなくなりますが。自由を制約され(例えば、どこかに監禁されていたり、自由に発言できない状態に置かれ)たりした後、解放された瞬間の歓喜。人間にとって自由は生きる上での必要条件です。ただ、十分条件かどうか。

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