宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

2018年 年頭にあたって:哲学って面白い

 あけましておめでとうございます。

 今年は、3日が仕事始めでした。もう今日は6日です。時間が過ぎるのが早い。1年前に立てた計画はどうなったか。ほとんど手つかずでした。ただ、現象学の「観ること」とは少し向き合えたかなと思います。記述までは行きませんでしたが。判断することを停止(エポケー)して、「観続けること」、現実が生成する場に立ち会い続けること、この感覚は少し分かった気がします。

 私たちはどうしてもあるものをAであると知覚すると同時に、Aに付きまとう諸々の判断を下しています。例えばある人を「弁護士」と知覚すると同時に、司法試験に通った頭の良い人、依頼人の利益のために黒をグレーにする人、理屈っぽい人、感情を押さえるか、感情面を切り捨てる傾向がある人、タフだけど必ずしも優しいとは言えない人等々。生活や仕事の中に、そういう判断内容は層を成しています。その判断を停止して、そこにいる「弁護士」を観続けることで何が観えてくるのか。ステレオタイプの「弁護士」像を突き抜けて、一人の生きた人間が観えてきます。

 ところで時間が過ぎる、というのはどういうことでしょうか。私たちはよく、時間が過ぎるのが早いとか、1時間がすごく長く感じたとか言います。時間を時計で計る客観的な外的なものと、私たちは思っていますが、同時に主観的感覚としても捉えています。デカルトは、モノと精神を分けて、その特性をそれぞれ「延長」と「考えること」としました。時間は通常「延長」という特性を持つものに属するのでしょうが、空間のような意味での「延長」ではありません。私の1年前はどこに行ったのでしょうか。

 哲学は何の役に立つのか、社会に哲学を通してどうつながって行くのか、ここ何年か暗中模索状態でした。今も答えは出ていないのですが、ただ、自分が関わってきたことが無意味だったという感覚からは、少しだけ抜け出しました。哲学は面白い、単純にそう思えるようになりました。こんな面白いものを伝える言葉が欲しい、と思えるようになりました。 

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