宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「我思う、ゆえに我あり」

 5日、6日は湊の八朔祭でした。ひたち海浜公園ではロッキン(ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017)が開催されましたが、11日、12日にも引き継がれ、4日間で出演アーティストは205組、動員数27万人と言われます。会場から私の家まで数キロはあると思いますが、11日、12日はドンドンという音が響いてきました。

 9日には水戸の親戚を訪ねて、ブルーベリー摘み。台風がずっと居座っていて湿気ていましたが、空気が乾いたなあと感じました。気温もどんどん上がりましたが、袋一杯に収穫し、縁側で麦茶を飲んでいると、風が気持ち良く、セミがうるさいくらいに鳴いていました。夏なんだなあ、と感じる瞬間でした。

 さて、7月28日に、フッサール(1859-1938)が「意識」を解明することから初めて、触覚的身体を介した「私」の位置づけを可能にしたことを書きました。このことをもう少し丁寧に考えておきたいと思います。フッサールは、デカルト(1596-1650)の方法的懐疑と同じやり方で、私たちの自然的見方に判断停止(エポケー)をかけ、そこから超越論的主観を取りだしました。どういうことか。例えば、私たちは自分の外に、私から独立して、パソコンがあるとかテレビがあると普通に思っています。私が死んでも、パソコンもテレビも存在する、というわけです。こういうのが常識的捉え方で、これを素朴実在論と言います。

 でもパソコンがあるとかテレビがあるというのは、私の意識に現れるものです。この私の意識に現れるものの確かさから、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」が出てきます。デカルトは本当に確実なものは何かを知るために、疑えるものをすべて疑ってみました。なぜなら、学問の土台がゆるぎないものでないなら、その上にどんなに堅牢なものを打ち立てても崩れてしまうからです。

 デカルトは感覚を通して知られるものをまず疑います。なぜなら、錯覚などがありますから。それに夢と現実の違いは本当に確実だろうかと疑います。感覚を通して私の身体を確信していても、もしかしたら今私は夢の中で、私に身体があると確信しているだけかもしれないと。私に身体があるというのも疑えるというわけです。次に数学的知識についても、計算違いだってあるし、そもそも神がだましているのかもしれないと疑います。でも、今疑っている(精神としての)私は存在している。これがデカルトが到達した「我思う、ゆえに我あり」でした。

 これは精神としての私の存在だけが確認されている状況です。私は今、パソコンとかテレビとかと言われているものを見ていますが、それが確かに存在しているとは言えません。ここで大切なことは、この精神としての私は、内容が空っぽなのではなく、いろいろなものを見たり聞いたり想像したり、思い出したり、嬉しかったり、悲しかったりしている私だということです(冨田恭彦科学哲学者柏木達彦の冬学期』より)。つまりパソコンがあると判断することやテレビがあると判断することを止めていますが、やはりそれらは見えていますし、音も聞こえているということです。フッサールの判断停止(エポケー)もこれと同じと考えておいていいと思います。

 このデカルトの我ありの我は、意識の対象となるものを持つ我ですが、この意識の対象すべてをデカルトは観念(イデア)と言っています。この観念はどこにあるかといえば、とりあえずは、「心の中」と言えます。そしてこの「心の中」からどうやって外へ出てゆくのか。そのとき、デカルトはこの「心の中」にある観念を調べて、例えば神の観念を人間が持っているというのはどういうことか、ということから神の存在を取り戻します。さらに神の存在を媒介して、「心の外」を取り戻す。

 私たちが何を知ることが出来るかを、心の中の観念から調べていきます。心の外の実在を疑うことが目的なのではなく、確実に知っていると言えるものから、外の世界について何が言えるかを組み立てようとしたわけです。デカルトはそのとき、神の存在を媒介させましたが、フッサールは神なしで私たちの意識を徹底的に調べることで、外の世界を確信する道を探りました。私たちが何かを知覚するとき、それが「何か」をどうやって知覚しているのかを分析していくと、過去に眠っていた意味のまとまり全体と与えられた感覚素材のまとまりとが、互いに共鳴覚醒させる「相互覚醒」が生じると言われます。

 ここはまた後日書くことにして、この思う我の心の中の豊かさということに、はっとさせられました。心の中に蓄えられている過去の表象のざわめき、せめぎ合いと現在の感覚領野との相互覚醒が、現実と上手く折り合えないのが、認知症状を抱える人たちの状態なのかなと思ったからです。 

h-miya@concerto.plala.or.jp