宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

どう生きるか

 昨日、高校卒業後45周年の同窓会がありました。みんな歳を重ね、一瞬思い出せない人もいましたが、不思議なもので話しているうちに、なんとなく面影がよみがえってきます。次は50周年で、元気に会いましょう、ということでお開きになりました。その後、クラスごとに2次会に分かれ、すでに鬼籍に入った友人の話になりました。「彼は優しくていい男だった」と口々に言っていました。私はあまり話したことがなかったので、そうだったんだあ、という感じでした。一見こわもての感じだったなあ、と思いながら。ほぼ半世紀という時間の長さを、ふと感じました。

 時間ということでは、今日、NHKで、18日に105歳で亡くなった日野原重明さんの追悼番組をやっていました。100歳の時のドキュメンタリー番組の再放送を軸にしていましたが、私もこの番組は一度見ています。覚えている部分もありましたが、小学生に語っている命とは何かの講演会の部分は、見落としていました。時間から生きることを語っていて、過去の時間も未来の時間も私たちは生きていない。ただ今という時間は生きていて、それを自分のためだけでなく人のためにも使って欲しい、と語っていました。うーん、深いなあ、と思いながら見ました。日野原さんは明治45年の生まれです。

 優しさということでは、レイモンド・チャンドラーの作り出した私立探偵、フィリップ・マーロウの言葉を思い出します。「男はタフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない」という、角川映画『野生の証明』(1978年)のキャッチコピーとして使われて有名になった言葉です。これは生島治郎さんがハードボイルドとは何かを語るときに使った訳を元にしたそうですが、この言葉自体は日本以外ではあまり知られていないそうです。日本でこの言葉を最初に取り上げたのは、丸谷才一さんで、1962年です。この言葉は、チャンドラーの最後の作品『プレイバック』に出てきますが、この作品はフィリップ・マーロウものとしては、唯一映画化されていない(2014年現在)とか。マーロウというとハンフリー・ボガードをイメージします。ボガードが口にしたら、格好いいだろうなあなんて思いながら、この言葉を思い出しました。

 原語にそって訳すと、「ハードでなければ生きていられない。ジェントルでなければ、生きているに値しない(I wouldn't deserve to be alive)」ということでしょうか。生きていく資格がないというより、それじゃあ生きているとは言えないんじゃない、という感じかなと思います。矢作俊彦さんが「ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」という意味だと指摘しているようです。私も最初は、(他律的な)やさしくなければいけない、という意味でとらえていましたが、そうでなくて優しくあることは自分にとって人生を生きがいあるものにする条件なのだと捉えると、とても素敵な言葉だなあと思います。

 女性に優しさ、素直さを求める慣習的なものに、どこかで圧迫感を感じたりすることもあり、「優しくあれ」はあまり好きではありませんでした。「優しくあれ」を男性が自分自身に言うと違いますが。でも、優しさが人生を豊かにするものとして提示されるとき、スーと入ってくる言葉だと感じます。

 日野原さんが、よど号ハイジャック事件から解放された58歳のとき、残り人生を人のために生きることをミッションとしたと言われてました。ほぼ半世紀に亘って、ペイフォワードの生き方を実践された訳ですが、これもすごいなあと思います。自己犠牲のバーンナウトは問題だと思いますが、これからの残り人生、本当にどう生きるか。

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