宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

ソクラテスの吟味(エレンコス)

 ソクラテスは紀元前469年から399年に生きたと言われています。彼が生きたアテナイは、ペロポネソス戦争(B.C.431-404)の敗戦と衰退に向かう時代にありました。アテナイの人々の心は空洞化し、価値相対主義が蔓延し、第2世代のソフィストたちが活躍していました。その一人、ゴルギアスの弟子のカリクレスはこういうことを言います。

「驕慢と放埓と自由、それが支えとなる力を獲得するとき、それこそがアレテ-であり、幸福なのです。それ以外の小賢しい飾りごとや、自然本性に反した人間同士の約束事などは、何の値打ちもない、たわごとにすぎないのです」(『ゴルギアス』)

 ソクラテスの問答法と「無知の知」はよく知られています。彼は対話を通して、アテナイの人々の心の荒廃に立ち向かおうとしました。ソクラテスは対話を通じて、相手の生き方、魂の在り方を吟味したと言われます。この吟味とか論駁をエレンコスと言います。古東哲明さんは『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫)のソクラテスの章で、次のようなことを言っています。

「エレンコスの目的は、たんに対話相手に彼自ら自分の考えの混乱と不整合を示してやることにつき、彼の確信している信念が他の同じ程度に確信している基礎概念と矛盾することを気づかせることによって、最初の信念への執着から解き放ってやるものである」(プラトン学者ヴラストスの言)。すなわち、知の開放性の態度を開いたわけです。しかしさらにヴラストスは次のように評価します。絶対主義でもなければ、なんでもありの相対主義でもない。その中間であるが、折衷主義でもない。「偽りの倫理的信念を持っている者はだれであれ、つねに、その偽りの信念の否定を必然的に帰結するような幾つかの真なる信念を、同時にもっている」とソクラテスは想定していたのではないかと。

 そして、古東さんは次のように締めくくります。ソクラテスは合理主義者でも、非合理主義者でもない。それはどちらも世界や生を人間という間尺で解釈する立場(ソフィストの視座)でしかない。ソクラテスは非知の位相(脱人間的次元)を守ろうとした。内証するしかない次元(非知)が問題だった。その人知のゼロポイントまで、人知を追い詰める作業。そこまでは言説の限りを尽くすが最後は黙して知るしかない位相への連行。そんな沈黙の方向へと実存姿勢(プシューケー)を向け変えることが、ソクラテスのエレンコスだった。

 時代背景の中で捉えるとき、ソクラテスの問答法は、アテナイの荒廃に立ち向かうソクラテスの悠然とした、しかし、切羽詰まった生きざまとしての吟味だったのだ思います。

 

h-miya@concerto.plala.or.jp