宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

認知症と共に生きる

 認知症になると、いろいろなことが分からなくなり、出来なくなります。ここでは認知症という表現で書いていますが、本来認知症とは病名ではなく、認知症候群のことです。記憶に障害が生まれ、時間が分からなくなり、場所が分からなくなり、人が分からなくなり、思考機能に障害が起こることなどを、認知症と言います。病名としては、アルツハイマー病、脳血管性認知症レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症(ピック病)などが上げられます。

 クリスティーン・ブライデンさんは、46歳で若年性認知症を発症し、オーストラリア政府の上級行政官としてのキャリアをあきらめます。彼女は2冊の本を書き、世界各国を講演して歩きました。日本にも2003年、2004年に来ています。一冊目の本は『私は誰になっていくの?』、二冊目は『私は私になっていく』です。彼女はクリスチャンなので、最後に到達する本当の自己を、神とのつながりの中での(霊性レベルの)「精神的自己」と捉えています。

 認知症では記憶障害がまず言われます。記憶の帯が切れて抜け落ちてしまうと。通常の物忘れはヒントがあったり、関係する場所に行くと思い出したりします。何のために2階に行ったか忘れても、1階に戻ると「ああそうだった。あれを取りに行ったんだ」と思い出すような場合です。これは結構ありますよね。認知症の症状としての物忘れは、忘れていることも忘れます。

 ただし、感情記憶は最後まで残ると言われています。認知症になるとすべてを忘れてむしろ楽になるのでは、と言うのは違うようです。感情の世界は最後まで残っていて、記憶が失われて行っても、情動を揺り動かしたものは最後まで残ります。あるいは、感情記憶は結構鮮明で、事実や理由は忘れてしまっても、その時に体験した感情記憶は残っています。

 次に言われるのが見当識障害です。いつ、どこ、誰(人物)に関する認知を見当識と言いますが、この順番で症状が出てくると言われます。時間が分からなくなり、夜中に外出の支度をし、家にいるのに家に帰りたいと言いだし、家族が分からなくなって「誰でしたかね?いつもお世話になってます」など言い出し、家族にショックを与えます。

 初期の認知症の方と接していても、普通の話は辻褄が合っていて、違和感を感じません。気分が安定していると、日常の動作にはそれほどの問題は生じていないようです。ただ一見問題なく安定しているように見えても、本人の疲れ方や不安感は、かなり重い場合があるようです。

 『ポールとクリスティーン』というドキュメンタリ―番組の中で、クリスティーンさんが、スプーンを仕分けできなくなって、「私の手に余る」と言っていました。視力はあって見えているのですが、分類すること片づけることが出来なくなります。このような認知する自己の崩れは、やはり自分が崩れてゆく不安感と共に、自分の居場所への不安感をも生み出している気がします。

 クリスティーンさんは、タクリンを飲まないと、「ぼんやりと霧がかかったようで何が何だか分からず、ひどく落ち着かなくなり、疲労困憊した感じになる」と書いています。認知症状とはこのようなぼんやりと霧がかかったような状態、精神が曇ってゆくような状態なのかもしれません。

 しかし、クリスティーンさんは、「認知は二次的なものであるとして、ゆっくり生きていく人生に満足すれば、私たちの人格の他の部分が広がってくる」と書いています。病気は変えられなくても、自分の態度は変えられる。誰でも自分の態度を日々選べる。そしてサバイバーであることを自分は選んだ、と。そして、それにはケア・パートナー(ポールさん)が重要な役割を担うとも。認知症が中程度に進んだ方でも、ゆっくり対応すると、かなりのことができます。理解するまでに、時間がかかります。そして要求されている行為をするにも、時間がかかります。

「痴呆症を持つ私たちにとって、私たちが解放され、内なる自由を得て、人間としての尊厳を維持出来るような選択ができるようになるためには、ケア・パートナーが重要な役割を担うということになる」(『私は私になってゆく』226頁)

 「自己」とは何かをクリスティーンさんは病の中で掴んだようです。そして彼女は時間と場所を共にするすべての人に、「あなた」と呼掛け、自分たちがあなたたちとできることは、この今という時を一緒に大切に生きること、この今を一緒に強烈に経験することだ、と言います。そして、「この時」を大切にすれば、真の自分を受け入れるということを、あなた自身も私たちと共に分かち合えると。ケア・パートナーという関わり方を、もっと理解してゆきたいと思います。

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