宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

フクシマエコテック

 5月26日(木)、福島県双葉郡楢葉町ひたちなかから、4人で行ってきました。楢葉町一歩会の新妻会長と「道の駅楢葉」で合流して、案内して頂きました。4人のうち2人は何回か福島を訪問していて、初めては私ともう一人の二人。

 楢葉町一歩会は、放射性物質の最終処分場を町長が受け入れを表明したことを受けて、その撤回の請願書を提出しました。これは2015年12月18日の定例議会で、賛否同数で議長判断で否決されました。

 一歩会の主張は、「放射能汚染により、双葉郡には人の住めないところが沢山あるのに、住民帰還を勧めている楢葉町でなぜ受け入れるのか」というものです。説明を聞く限り、どう考えても効率優先であると感じます。なぜなら、平成13年から操業を開始していた産業廃棄物の最終処分場のフクシマエコテックを国有化して、放射性物質の最終処分場として稼働させるというものですから。しかも受け入れ口も、現在使用されている道路を使って。現在生活に使っている道路ではなく富岡側から入り口を作るには、費用がかかるそうです。

 入り口のすぐ下に、お寺がありましたが、ご住職一家は住まいを移されたままで、葬式等があるときだけ、帰還されるとか。楢葉町住民の中には、今回の最終処分場受け入れの話から帰還をあきらめ、いわき市に家を求めた人もいるとか。

 木戸ダムにも案内して頂き、紅葉の季節は素晴らしいだろうなあと思いました。天神岬も子どもたちにとっては最高の遊び場所でしょう。しかし、子どもたちに残したい自然環境をこのままでは残せないだろうと、一歩会の人たちは危惧しているそうです。

 生活の問題と原発の問題は本来切り離すべきだと思います。生活が成り立つような国からの支援や地方の工夫は、別の形で出来るはずだし、すべきだと思います。そして原発が抱える技術的問題や廃棄物処理の問題は、きちんと専門家だけでなく私たち市民みんなで考えなければなりません。生活の問題をそこにもちだすことは、人間の生き延びようとする基本的欲望を刺激して、問題の本質から目を背けさせます。ある意味、非常に狡猾なやり方です。

 40年以上も前に聞いた仏教説話を思い出しました。人間の状況は崖から蔦に縋りついたまま動けない、というものです。崖の上には虎がいて、崖の下には毒蛇がとぐろを巻いている。でも蔦のすぐ上を見ると蟻が蔦をかじっている。でも人間はそれを見ようとしない。この話を仏教思想の授業の中で聞いたとき、言い得て妙だと思いました。でも今は、逃れるすべを考えなければと思います。少なくとも、人為がもたらした状況は、もたらした者の責任が問われます。

h-miya@concerto.plala.or.jp