宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「ピカソとその時代」

 国立西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を見てきました。ネットでチェックしたら空いていたので、これを逃すと行けないかもと思いました。1時間くらいしか時間がなかったので、絵の前でぼ~と見続けるような時間はありませんでしたが。でも、「あ、これいいな」は何点かありました。

 ベルクグリューン美術館は、世界的画商だったハインツ・ベルクグリューンのコレクションから成り立っています。ベルクグリューンは、1996年にベルリンのシャルロッテン宮殿に面したシュテーラー館で、自分のコレクションを公開しました。2000年に、彼のコレクションの主要な物をドイツ政府が買い上げ、ベルリン・ナショナルギャラリーに収蔵されます。その後、2004年に収集家の90歳を記念して、シュテーラー館はベルクグリューン美術館と改称し、ここに彼の収蔵品が展示されています。

 ピカソ以外の作品でも、印象に残ったものがありましたが、それはまた別にアップしたいと思います。

        パブロ・ピカソ:1937年作『サーカスの馬』。『ゲルニカ』の数か月後に制作

       パブロ・ピカソ:1919年『グラス、花束、ギター、瓶のある静物

          パブロ・ピカソ:1914年『一房のブドウのある静物

 

常夏のハワイ気分を味わう

 19日土曜日の第20回「はまぎくカフェ」は、フラダンスとハワイアンを楽しむ会でした。フラダンスを披露して下さったのは、「ホクラニ フラ スタジオ(天国の星)」の皆さんでした。演奏を担当して下さったバンドは「レアレア」です。

 踊って下さった曲目は、「カイマナヒラ、真珠貝の歌、童神、プアレレリフア他」。フラダンスというと映画『フラガール』のイメージが強く、当日に踊られたフラダンスの優雅な動きには驚かされました。フラダンスというのは、一色ではないと思い知らされた時間でした。手の動きや足の動きで、色々なことを伝えているのだと思います。

 フラダンスは、ハワイの伝統的歌舞音曲で、現地では「フラ」と言われます。ダンスだけではなく、演奏、歌唱、詠唱のすべてが含まれます。カヒコと呼ばれる「古典フラ」は、きわめて厳粛なもので、宗教的行為として踊られることもあるそうです。アウアナは「現代フラ」で、19世紀以降に欧米の音楽を取り入れて作り出された新しい形式のフラです。

 1820年にハワイにやってきたプロテスタントアメリカ人宣教師から、フラは異教の踊りとして禁止されました。その後、カラカウア王(1874-1891)の時代に復活しています。

 

茨城県立歴史館のイチョウ

 茨城県立歴史館のいちょうまつりは、5日から13日まででしたが、14日もライトアップしていました。

 歴史館は昭和49年に開館されています。文書館としての機能と、博物館としての機能を併せ持っています。県立水戸農業高等学校の跡地に建設が決まったのが、昭和45年です。開館されたとき、私は茨城に居なかったせいもあり、あまり馴染みがありません。開館して、ほぼ半世紀。その当時、歴史館の近くに住んでいた知人が、よく散歩したと言っていました。ただ、当時はいちょうも植えられたばかりだったのでしょう。歴史館のいちょうまつりの話をしたら、驚いていました。

             14日17時から17時半頃の風景

リベラル・アイロニストとケア 1.問題はなにか

 リチャード・ローティが『偶然性・アイロニー・連帯』で描いた連帯は、ケアの根拠にできるのでしょうか。連帯の思想は、政治的なものです。これに対して、ケアは私的な関係性から始まるものです。これに、連帯の思想を適応させることができるでしょうか。

 ローティのリベラル・アイロニストは、思想としてはアイロニストの立場に立ち、社会活動としてはリベラルの立場に立ちます。ローティは社会組織の目指すものと、それぞれの存在の持つ、異なった終極的語彙が緊張関係にあることを認めています。彼は社会的組織は平等を目指すと言います。それに対し各自の持つ終極的語彙「キリスト」「神道」「進歩的」「従順な」「革命」「優しさ」「豪胆さ」などの用語は、ローカルで柔軟さに欠けていると言います。

 そして彼は、私たちの苦痛を感じる能力を最も重要なものとし、それに対する語彙の違いはほとんど重要でないと言います。このリベラルでありながら、形而上学(他者の痛みに応えようとすることに論拠を求める)に陥ることなくアイロニストでもあり続けるのは、生における総合としてのみ実現すると語ります。つまり理論の上では、リベラルとアイロニストは総合されえないというのです。

 リベラル・アイロニストにとってケアはどう捉えられるのか。連帯とケアの問題に先立って、まずアイロニスト、リベラルを捉え直しすことから始め、連帯とケアを考えてみたいと思います。

                    

              今日の青空

池袋で

 街にいる人たちがマスクをしている以外、以前の池袋と変わりなくなっています。カフェは60分から90分の時間制限をしているようです。ジュンク堂書店へ行こうと思って池袋駅の東口に出て、少し歩きました。かつてサンダル履きで歩いていた街が、ずいぶん変わっています。

 

                     南池袋公園のカフェ。店内は滞在90分制限。

            サンシャイン池袋が聳え立っていました。

花を生ける2種

 ここ何日かは、昼間は動くと少し汗ばみます。朝晩はすっかり冷えるようになりました。今日、お花の会があり、お生花(しょうか)の3種生けと、ペットボトルで小さなフラワーアレンジメントをやりました。ペットボトルの創作は、放課後等デイサービスでの創作の日のための試作品です。

 3種生けは、より自由花に近いそうです。器を深さのあるものに変えるように言われたので、家に戻ってから高さのある器に生け直しました。2種生けの菊と柳は他の方の作品。お生花は1種生けから始まったとか。

 約束事が色々あって、忘れてしまうのですが、今回記憶に残ったのは、配置と考え方。例えば、真・副・体とあるとき、真にも副えにも、前あしらえと後ろあしらえがあります。真ん中は成人期、前が若者、後ろが高齢期を表すので、それに合った枝ぶりを選びます。そしてどの位置に生けるものも、真に顔を向ける。真を支える生け方をするということ。そうかと思いながら生けました。池坊の生け方にある基本的な考え方が少し分かりました。

  

さんごみずき、菊、メラリューカの3種生け(私の作品)    菊と柳の2種生け(他の方の作品)

 

 

トルコ桔梗、リンドウ、小菊、ツタ              ツタをヤブカラシにしました

「人生会議」(アドバンス・ケア・プランニング)

 晴れていると気分がいいですね。19日(水)のはまぎくカフェはお天気に恵まれました。今回のテーマは終活に関する話で、出前講座でした。

 「人生会議」とはアドバンス・ケア・プランニングの愛称です。これは、2018年11月30日に公表されました。8月13日から9月14日にかけて、ACPの愛称が募集され、決定されました。同時に11月30日を「いい看取り・看取られ」の日として、人生の最終段階の医療やケアを考える日とする、と掲示されています。

「人生会議」とは、アドバンス・ケア・ プランニング(Advance Care Planning)の愛称です。
アドバンス・ケア・プランニングとは、あなたの大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自ら考え、また、あなたの信頼する人たちと話し合うことを言います。(厚生労働省、ホームページ)

 厚労省の作った動画は、実話をもとに作られているので、よく出来ていると思いました。かしこまって会議するのでなく、何気ない会話の中でも伝えられるものでもあり、何度でも話し合うことが大切と言われてます。気持ちは変わることがあり、その中で、本人が何を大切にしているかが、明確になっていく、ということが動画で伝えようとしていることだと思いました。

 一度話し合っておけばOKではない、ということに気づかされました。何気なくぽろっと出た、こうして欲しいが、より本心に近いこともあります。人の気持ちは揺れるもの。それは、私たちは常に途上に居るということでもあります。

             19日のカフェでの講話の様子です。

h-miya@concerto.plala.or.jp