宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

千波湖一周

 昨日、千波湖を一周しました。5キロはあると思っていたのですが、3キロと知って、まあ、それなら歩けるかなぁと。途中写真を撮りながら歩いて、40分くらいでした。18時5分頃歩き始め、18時40分頃にはすっかり暗くなりました。ランニングや散歩をする人が結構いました。

  

  

             4月22日18時38分の千波湖風景

おしゃべりの効用

 20日の「はまぎくカフェ」は、「すごろくトーキング」でした。「すごろく」のシート作りをしていた時は、面白いだろうとは思いましたが、これほど盛り上がるとは思いませんでした。一人がサイコロを振ってシートのマスの質問に答えると、それにかぶせるように他のメンバーが話していました。30分という時間を区切りましたが、なかなかコマが進まず、時間を10分延長しました。それでも上がりには程遠い状態。思い出や自分の考えていることを語ることの豊かさを、参加者の皆さんが感じていたと思います。

 認知症予防におけるおしゃべりの効用は、よく聞きます。ただ、漫然としたおしゃべりは、話している人だけの快感で終わっているのかもしれません。すごろくを介することで、あまり話さないことも話せたと思います。

 「これまでの一番の恐怖体験」のマスで、「小学生のとき頭虱を退治するためDDTを頭から散布された」話をしてくれた人がいました。映像で見たことはありますが、実際の体験談を聴くのは初めてです。映像が身近なものになりました。映像で見たときは、ああそういうこともやったんだ、くらいに捉えていました。そのときの、子どもたちの気持ちまでは推測できませんでした。

 おしゃべりは、ちょっとした仕掛けで、誰でも参加できる遊びにできます。話すこと自体が苦手な人も、周りが興味をもって質問すると、ちゃんと答えてくれるし、ご本人も自然に話していました。私たちが苦手なのは、実感を持った体験ではないことへの質問に答えることなのかもしれません。

 すごろく・トーキングは、おしゃべりのテーマ化の手法だと思います。テーマがないと話し難いと感じる人には有効だし、おしゃべりが好きな人にも話の輪を広げるのに役に立つなと感じました。

正保春彦著『心を育てるグループワーク』(金子書房)の「スゴロク・トーキング」を参考に、質問項目は自分たちでかなり変えました。正保さんの「インプロ・ゲームと表現」という茨城大学公開講座に、2019年に参加したとき購入した本を参考にしました。この講座では、2日間ワーク漬けで、最初はどうなることかと思いましたが、途中から皆さん夢中で「遊んで」いました。

身体図式って?

 2、3日夏日に近い気温が続いていましたが、15日はお天気が悪く、肌寒さがぶり返しました。身体が付いて行きません。この身体を私たちは通常はあまり意識していません。具合が悪いときとか、何か新しい動作を身に付けようとするときに自覚されます。自分の身体の動きに関して(痒いところに自然に手が行くとか自分が今身体を右に捻っているとか)、私たちは観察することなく分かっています。こういう身体に関する潜在的な知覚を身体図式(body schema)と言います。

 では、この身体図式とはどういうものなのか。イギリスの神経病学者ヘンリー・ヘッド(1861-1940)に由来すると言われています。ヘッドは失語症の研究で有名な人です。ヘッドたちの研究にヒントを得て、Körperschemaという用語を初めて使用したのは、旧チェコスロバキアの神経学者で精神科医のアルノルト・ピックでした。ピックやヘッドの図式概念をさらに展開したのがアメリカの神経学者パウル・F・シルダーです。そして哲学の領域で、この概念に注目したのがメルロ=ポンティ(1908-1961)です。しかし、まだ研究者間で身体図式の確立した定義はないようですが、身体図式の特徴は次のようなものです。

  1. 再帰的な意識、自覚を必要としない。身体運動を意識下で調整している主体である。したがって、ひとが身体図式に対して顕在的な知識を持っているとは限らない。
  2.  サル、ヒトの脳に共通して、大脳皮質頭頂葉連合野および運動前野が身体図式に関わっている。ヒトでは特に頭頂連合野の損傷によって、身体図式の障害が起こる。
  3. 身体図式は変容する(可塑性を持つ)。日常的には、ある道具の使用に熟達すると、私たちは道具を持っている手そのものではなく「道具の先端」で対象を感じがちである。身体図式は感覚運動学習の結果、あるいは実験的に作り出された錯覚によって、一時的に変容させることもできる。(自然科学研究機構 生理学研究所 大脳皮質機能研究系脳科学辞典』「身体図式」2015年

 メルロ=ポンティは、人間的主体を身体とする考えを一貫して持ち続けたと言われています。『知覚の現象学』(1945年)は、まず身体から始まります。身体図式という考え方は、この身体についての考察の中に頻繁に出てきます。例えば幻影肢という現象はデカルトの『省察』にも登場する現象ですが、幻影肢の考察を通して、身体図式は習慣的な運動感覚の残骸であることを超えて、身体が世界内存在であることを表現するための一つの仕方である、としています。つまり習慣的に身に付けている身体の空間の中での位置図であると同時に、その身体が世界の中にあることを表しているのが、身体図式だというのです。

 この辺りは、もう少し考えていきたいです。パリ大学での講義録「幼児の対人関係」(1950年から51年にかけての年度)は身体図式と他人知覚の問題が論じられているので、その辺りから考えてみたいと思います。

     3月30日の「弦悟郎」による津軽三味線演奏。<身に付ける>ということを考えさせられました。

年度初めに

 今年は梅も桜も遅咲きでした。あっという間に桜は満開になり、今日はもうそこここで散り始めています。塾の子どもたちも学年が上がり、小学生から中学生になった子どもたちもいます。何となくざわついた雰囲気があります。環境が変わるとその影響が微妙に出て来て、落ち着かなさになるようです。

 弦悟郎の子どもたちはどうなのでしょうか。演奏することに集中する時間を持っていると、何となくの歯車の狂いはその都度リセットされるのでしょうか。「自分である」という感覚・確信は、色々な場面であり得ます。そういうものがたくさんあれば、環境が変わっても、そう簡単に自分が分散してしまうことはない気がしています。

f:id:miyauchi135:20220407191602j:plain f:id:miyauchi135:20220407191648j:plain

            4月7日の水戸旧県庁から

「和洋じょんから節DaDaDa」で盛り上がって

 3月30日に、久しぶりに「はまぎくカフェ」を再開できました。開催できなかったのは2カ月だけだったのですが、感覚として「久しぶり」でした。昨年は3月31日に同じ企画(津軽三味線コンサート)を実施しました。1年振りに会う子どもたちは、成長していました。昨年、一番小さい子は、椅子に座ると足が床に着かず、足をぶらぶらさせていました。それがしっかり、床に足が届くようになっていました。そして一番元気に飛び回っていました。

f:id:miyauchi135:20220407185549j:plain

 佐々木光儀流「弦悟郎」の子どもたちによる津軽三味線の演奏をメインに、カフェ参加者の皆さんも楽しそうでした。「和洋じょんから節DaDaDa」では三味線の立ち弾きをしながら、演奏者が自由に動き回りました。子どもたちもノリノリで、会場からも手拍子と一緒に声が飛んで、盛り上がりました。

f:id:miyauchi135:20220407185810j:plain f:id:miyauchi135:20220407190835j:plain

 子どもたちの成長を実感できて嬉しかった時間です。そしてかつて自分たちにもこんな時代があったんだなぁと、懐かしいというか、ほんとに遠くまで来てしまったなぁ、という感慨がありました。

「契約」というやり方

 3月になったと思ったら、もう27日。3月ってこんなに忙しかったっけというくらい、今年の3月はバタバタでした。24日は月一回の生け花の集まりがあり、25日は冷蔵庫を買い替えての搬入、午後には母のショートステイの契約をしました。いつも使っているところが一杯で、今回は新しいところなので契約が必要でした。

 介護保険制度が導入され、措置から契約へというの流れの中で、私たちにも契約というものが馴染になってきています。介護保険制度は2000年に創設されました。その制度のための法律が1997年12月に公布され、2000年4月から施行された介護保険法です。

 日本の社会福祉制度は1990年代に抜本的改革を余儀なくされました。これが社会福祉基礎構造改革と言われているものです。この改革の流れの中で、社会福祉の基本事項を定めた社会福祉法は、1951年の社会福祉事業法を改正、名称変更して2000年5月に公布、施行されました。

 社会福祉基礎構造改革社会福祉サービスの供給方法を変えるものです。日本の社会福祉制度は、第2次世界大戦後に始まり、生活困窮者の保護・救済を中心にして「措置制度」として展開されました。この社会福祉制度は、社会の構造変化と政府の財政縮小方向の中で、「措置制度を契約による利用制度に変える」(大島正彦)という抜本的変革を迫られるようになったわけです。

 介護保険制度はこのような流れの中で始まりました。措置制度の廃止は、行政の責任の後退とも言われます。この点に関しては、実感する部分があります。しかし同時に、利用者側の多様な選択とサービス提供者のそれへの応答の意義も感じます。まだまだその質に関しては課題山積ではありますが。

 社会の中で行われていることは、契約がベースにありますが、今まで、「形だけ」の印象があります。今も、契約条項を一文一文チェックはしませんが、基本的な部分の説明はなされます。社会全体が、契約に慣れていく過程なのかもしれません。

f:id:miyauchi135:20220326120859j:plain

姫ミズキとアイリスのお生花(しょうか)2種生け。姫ミズキで真と副を作るのは難しかったです。ほとんど先生にやって頂きました。真には前あしらいと後ろあしらいがあって、前は元気なもの、青年期のイメージで、後ろは少し力が弱いもの、年寄りのイメージというのが、面白かったです。アイリスで体(体真・谷・体先)を作ります。

北村朋幹 ピアノリサイタル

 19日の午後、佐川文庫木城館で、北村朋幹(ともき)さんのピアノリサイタルがありました。夕方から雨の予報があったようですが、演奏会の最後の頃に雨が降り始めました。「話す予定はなかったのですが」と言いながら、マイクを持った北村さんがドイツの教会での演奏会のときにも雨が降った話をしてくれました。コロナの影響で、そのコンサートは、オープンエアのコンサートになったそうです。演奏の途中から雨が降り始め、観客の人たちはどうするのかなと見ていたら、皆さん傘をさっと取り出し、ピアノと演奏者だけが雨に濡れた、というエピソード。「ここは屋根があって良かったです」には、会場から笑いが起こりました。

 北村さんは、16年前に14歳で、佐川文庫のホールでコンサートデビューをしたそうです。中村紘子さんの勧めだったとか。現在は、フランクフルト音楽・舞台芸術大学で歴史的奏法の研究に取り組んでいます。中村紘子さんへの感謝の思いを、生存中には伝えられなかったという心残りを吐露されました。

 演奏会では、ベートーヴェンの晩年の三つのピアノ・ソナタ(第30番、第31番、第32番)が演奏されました。どの曲も思索的な雰囲気と抒情性があって、ベートーヴェンの三大ソナタと言われる「悲愴」(第8番)、「月光」(第14番)、「熱情」(第23番)とは趣が異なっていました。私は「テンペスト」(第17番)も好きで、特に第3楽章が有名ですが、ときどき聴きたくなります。演奏者によって、微妙に異なります。

 30番も31番、32番も、耳が完全に聞こえない中で作曲されています。ベートーヴェンは、何を聴いていたのでしょうか。

f:id:miyauchi135:20220321013047j:plain f:id:miyauchi135:20220321013132j:plain

     当日のプログラムから              演奏ステージのピアノと桜

f:id:miyauchi135:20220321005928j:plain

              3月17日の弘道館公園の梅

h-miya@concerto.plala.or.jp