宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

パーソナルスペースを考える

  4日が仕事始めでした。現在は、基本、土曜・日曜だけ「サービス付き高齢者向け住宅」で介護員兼生活相談員として勤務しています。ここは介護付きのサ高住なので、通所部門と訪問部門が併設されています。私は、通所部門、デイ・サービス勤務です。同じ建物の中で、要介護1から5までの人が生活しています。90歳代の方が、21人中4人いらっしゃいます。「老いるとは楽しむこと、耐えることではない」という、1998年にブロンウィン・ビショップさん(オーストラリア高齢者政策の大改革に着手した大臣)が書いた言葉。幸せとはどういうことなのか、考えています。

 ニーチェが拒否したものの一つが、群れることでした。適度の距離の感覚こそが、高貴さの証と考えています。サ高住に暮らす人たちは、住む場所と食事と安否の確認を保証されています。それと引き換えに、他人と暮らすことで、パーソナルスペースでの折り合いの必要が出てきます。パーソナルスペースとは、他人に近づかれると不快に感じる空間のことです。

 1966年にアメリカの文化人類学エドワード・T・ホールが、アメリカ人の対人距離(パーソナルスペース)を4つに分類しました。密接距離(0~45cm)、個体距離(45cm~122cm)、社会距離(122cm~366cm)、公衆距離(366cm~762cm)です。微妙に端数の出る数値ですが、フィートをcmに直すことで、こういう数値になっています。例えば、45cmは約1.5フィート、122cmは約4フィートです。そして、それぞれがまた近接層と遠方層に分けられますが、そこは省略します。狭義のパーソナルスペースは個体距離の部分です。

 施設の食堂での座席間やデイでの座席間の距離は、テーブルを挟めば1mから2mくらいですが、隣同士は密接距離の遠方層になります。個体距離は友人同士が個人的な話をしているときの距離ですが、リラックスして他人が入り込めない雰囲気を持つ距離です。密接距離は、非常に親しいもの同士の間柄の距離です。これらの距離に誰が入ってくるかは、感情に訴えかける範囲なので、難しいものがあります。

 同じ場所で暮らしていても、本当の家族ではないので、この対人距離はその時々の気分や当事者同士の関係が反映します。特に、認知症状を呈している人の場合は、どうしても極端になることがあります。それでも、全体として、誰かと一緒にいることを受け入れています。なぜ人は群れるのか。社会心理学的には、適応という視点から解釈出来るようです。

 「人間にとってのもっとも根本的な適応環境は集団生活にある」と亀田達也さんは『社会心理学』(有斐閣アルマ)に書いています。そして、自然環境の中で生き抜くために群れという生存形式を選んだ結果、今度はこの群れの中でどう生き残るかという適応問題が生じたというのです。

 ニーチェは群れることを拒否します。それは、また彼が人間を超えることを、超人の道を選ぶからでもあります。そのためのもっとも根本にあるのが群れることの拒否というのは、人間であることの基本が群れることであるとするなら、至極もっともなことです。

 しかし、共に高みを目指すという道はないのでしょうか。一般的には難しい気がします。ただ、例えばラグビーのワンチームという言葉には、それが実践されている気がします。だからこそ、私たちは、感動し夢中になって応援してしまうのかもしれません。青山学院大学が今年の箱根駅伝で優勝しましたが、あの闘い方もワンチームの闘い方だと言われます。高みを目指すというのは、どうしても孤独な道になりますが、集団スポーツの場合、チームが家族になると言います。慣れ合いや強制のワンチームは息苦しいだけですが、切磋琢磨し、ライバルと競って死に物狂いでポジションを取る。でも終われば家族、という姿は見る人に感動を与えます。

 パーソナルスペースの話から、大分逸れましたが、ニーチェの超人の道と最後の人間の幸福観への批判とは、また別の道への示唆があるような気がします。最後の人間の幸福観については、次に書きたいと思います。

h-miya@concerto.plala.or.jp