宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

人文学の危機

 今日は小雨が降っていて、寒かったです。明日にはお天気は回復するようですが、この寒暖差に、体がついて行けません。昨日から頭痛と吐き気が出ていて、今日は少し良くなりましたが、風邪をひいたかなと思います。

 溜まっていた新聞を整理して、気になる記事を切り抜いて一日が終わってしまいました。国立大学法人総合研究大学院大学」の学長らによるハワイ視察が問題になっています。長谷川真理子学長については、以前から新聞でのコメントなどは面白く読んでいたので、ちょっと残念です。長谷川さんは今回の問題へのコメントで、人件費削減の方針を、戦略的・重点的予算措置という言い方をしていて、考えてしまいました。

 彼女は、9月5日掲載の東京新聞文化欄「成果主義は実行可能か」の中で、「研究開発などは、長く見ないと分からないので、短期間での評価は難しい」と書いています。これは政府が現在始めている、86の国立大学への指標による評価、成果主義への危機感を述べたものです。そもそも成果をどう評価するかの基準設定の困難さが、多くの会社で成果主義を破たんさせたといういきさつが紹介されています。こういう主張を持つ人が、教職員の人件費削減で出た余剰金をハワイ視察(7割が観光地や土産店)に使っていたという矛盾(と私は思います)。これは何なのでしょう。

 24日の文化欄ではマイケル・エメリックさんが「人文学の危機」といわれている問題を論じていました。この問題は実学志向の流れの中で、学問の世界の中で危機感が強まってきているものです。2004年の国立大学の法人化以降、様々な改革がなされてきましたが、やればやるほどおかしくなって来ている感があります。恐らく根本的なところで方向性が間違っているのではないでしょうか。大学組織などの教育や学校は、そもそもプラトンアカデメイアから始まり、2000年以上の歴史の中で醸成されてきた歴史があります。それを産業化以降の発想で出てきた会社組織の考え方で、簡単に組織変革ができると考えて取り組んでいる気がします。

 人文学の研究者の多くが、人文学の存在意義を文化・文明の伝承の必要性以外に主張出来ていなことに問題があると、エメリックさんは述べています。確かに人文学の意義と言われたとき、実学程にはっきりとその効用を述べにくいところがあります。ただ、長谷川さん自身の主張と行為の解離状況を見たりすると、彼女には本当の意味で、人文学的教養が根付いていなかったのではと思ったりします。人文学は、少なくとも、人間の多様性を開示し、人間の尊厳と向き合う心を耕す役割を担っていると思います。

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