宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

不確実性を楽しむ

 18日は仕事の後、1週間の疲れを取る金曜夜のヨガ教室に参加しました。でも、その後の土曜・日曜も仕事で、金曜日から3日連続で介護の仕事をしていました。ヨガで一週間を終わるはずが、予定が狂いました。10月一杯で、今行っている職場を辞めるはずだったのですが、それも延期になりそうです。なんか、予想通りに行かない日々を送っていますが、まあそれも良し。自分の描いた目標に、あまり捉われない方が良いのかもしれないとも思っています。今出会っているものと、きちんと向き合っていく中から、次の道が見えてくるのかもしれません。

  パンドラの箱に最後に残っていたものは「希望」でした。箱に残っていたエルピスは予兆とも期待とも希望とも訳され得るそうです。先の見えないとき、不安と同時に期待も与えます。若くてまだ実力が伴わなくて、先が見えなくても、若さの中には何かが変わる予兆を感じる生命力があります。でも、高齢期というある意味人生の最期に残っている時期に、先の見えなさはむしろ不安を呼びます。恐らく生命力が落ちて来ている所為ではないかという気がします。「希望」はどこにあるのでしょうか。

 私たちは、安定した環境の中で安心して毎日が送れるとき、心も穏やかに過ごせます。ただ、あまりに変化がないと、退屈して、毎日の生活もおざなりになっていきます。どうも刺激がなさすぎるのも問題になるようです。毎日は日々刻々と変わっていくのに、それを新鮮に受け止めることが出来なくなります。慣れは日常生活に必要なことですが、それだけだと退屈します。感情は新奇なものに反応するようです。

 私たちの脳は、不確実性を好むそうです。そして、目的を立てて行動するのもいいけれど、行動することで予期しないものとの出会いがあります。私は、そういう出会いを、自分の描く在り方や目標の中に整理してしまおうと、し過ぎるところがあります。人生がすっきりと整理された感じがして、安心するのでしょう。

 昔、夏休みの宿題の予定表を作るのが好きでした。作ると終わった気がして、結局、いつも最後バタバタとやっつけ仕事をしていました。予定を考えるのが好きなようです。企画するのが好きで、でも実行力が伴わないので、なんかいつも中途半端でした。実行力をつけようと、コツコツやり始めると、気持ちはどこかへ飛んでいて、作業だけなぞって安心する。

 ワクワク、ドキドキしながら、地道に努力して力を付けていくのは大変なことだと思います。でも楽しむ心がないと、結局は本当に創造的なものは生まれない。それなら、楽しんでしまった方が勝(価値)、と割り切ったほうがよさそうに思えて来てます。高齢期の希望も、楽しむ心構えの中にあるのかもしれません。

h-miya@concerto.plala.or.jp