宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

思想を身体化すること

 参議院議員選挙が7月に行われます。選挙が来るたびに「地方自治の本旨とは」と考えますが、終わると次の問題に行ってしまいます。教えるという場面でも、あるテーマを一緒に考えますが、やはり授業が終わるといつの間にか忘れています。脳はもともと飽きっぽいそうです。でも考えていたことは、何らか身に付いているのでしょうか。その意味でも、シュタイナー教育のカリキュラムのつくり方は、考えさせられます。

 エポック方式の基本授業(8時から10時)という形態は、集中と交替、頭から入れたものを体に浸透させるという考え方を取っています。4週間から6週間がひとつのエポックになっていて、その間は、例えば書くエポックならずっと書くことが続きます。次の計算のエポックになると、計算だけが続けられて、書くことはお休みしています。これは子安美知子さんの『ミュンヘンの小学生』(中公新書、1975年)で紹介されている例なので、他のシュタイナー学校が、時間設定や期間設定が全く同じかどうかは分かりません。ただ、このエポック授業やフォルメン、オイリュトミーは、シュタイナー教育の基本原理なので、集中と交替の原則は外せないものです。

 何かが分かるとかそれが身に付くというのはどういうことか。ただ言葉だけで思考しても、無理があります。かと言って経験だけでもだめで、それをどう言葉につなげていくか。介護の現場を離れて6か月になります。最初の課題であった「相手の世界にお邪魔する」ということがどういうことかの感触は、何となく分かった気がします。そして、お世話させていただくという精神を、介護士教育の現場で繰り返していた意味も。そして、漸く次の課題が見えてきた気がしています。

 介護という日常の繰り返しの中で、惰性化してしまいがちな業務をどうリセットしていくのか。「遊び」の心をどう生活の中に浸透させていくのか。ニーチェは、精神の三態の変化を「ラクダ、獅子、子ども」と描き出しました。最後の子どもは、遊ぶ子どもです。人間の老年期とは、この遊ぶ子どもに戻ることなのかもしれない、と思っています。でもそれはどういうことなのか。そして、介護とは何か。また手探りしてみたいと思い始めました。

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