宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「BRIDGE」から

 録画しておいた、1月15日放映の「BRIDGE」を漸く見ました。2018年の話から始まった辺りは、何かなぁという感じで見ていましたが、1995年当時の話に入って行くとやはり見入ってしまいました。神戸の大震災で崩落したJR六甲道駅をクレーンで持ちあげて、74日間で復旧した実話をもとに描かれたドラマです。

 工事元受の建設会社「磐巻組」六甲道駅工事所長の高倉昭を演じた井浦新が良かったというのもありますが、技術者魂を見せられて、絶望していた人たちがまた立ち上がろうという気持ちになっていく。そういう希望を描いているドラマだからでしょうか。

 23年経つと神戸大震災を知らない世代が育って来ています。悲惨な状況だからこそ人間の本当の絆があった、楽園は地獄の中にしかないのかもな、というようなことを、現在42歳になった春日という男が16歳の佐渡島少年に聞かせます。「なんなんこのおっちゃん」という感じで、春日の話を聞いていた少年が、自分の住む街の話に引き込まれて行きます。春日には、語らずにはいられない心の傷がありました。語り部の力は、歴史を伝える力だなぁと思わさせられます。

 どんなにつらい経験でも、記憶の中にはめ込まれたものは、やがて薄れていきます。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。だからこそ私たちは生きていける。それでも、そこで経験したものは、心に刻み込まれているのは事実です。

 私たちはよく、「忘れてはいけないものがある」と言うし、言われます。それはその通りなのですが、PTSD心的外傷後ストレス障害)という症状は、忘れることが出来ないことから生じているとも言えます。忘れていけないものとは何なのか。心の傷は癒さないとしんどいです。私たちは傷が癒えると、その体験自体も薄れていく。それでもやはり、心に刻み込まれているものがあります。それは何なのでしょう。

 3.11で福島からひたちなか市に住居を移した方たちとの交流会で、まだ20代の女性たちが「夢に出てくるのは、故郷での生活です」と言っていたことを思い出しました。切ない話です。石川啄木は「故郷は遠くにありて思うもの」と歌いましたが、それは失われてしまった故郷ではありません。私の好きな「やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」という歌も、故郷があるからこそ抒情歌なわけです。

 「BRIDGE」からいろいろなことを考えました。リチャード・ローティによれば、他者の苦難への感受性は、抽象的な言葉からではなく、小説やドキュメンタリーなど、他者の生のディテールを描き出すものによって育まれるのです。確かに、その通りかもしれません。

h-miya@concerto.plala.or.jp