宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

脳死・臓器移植

 今日は昨日より風が冷たかったですが、夕方散歩したら、少し汗ばみました。午後は取り溜めしたドラマを観ていました。死を、残された者たちが受け入れることの複雑さを考えてしまいました。

 さて、医療が文化的・社会的制約の中にあることを実感させられる一つが、脳死・臓器移植問題です。日本人は土葬から火葬に移行したとき、それほどの混乱はなかったと言います。しかしそれが、遺体へのこだわりのなさを意味するわけではありません。日本人の遺体観・霊魂観を考えるとき、死にゆく人と共にあって、その死を受け入れていく時間の意味を思います。

 『アンナチュラル』の主題歌の「Lemon」を聴いていると、大切な存在の死(喪失)を受け入れていくことの複雑さを思います。心の中のいろいろな思いが、その喪失をきっかけにあふれだし、その時の例えばすれ違いの意味を思い、「今でもあなたはわたしの光」と思うことで耐える言葉を得る。

 東日本大震災の現場を再現した映画『遺体』を観たとき、娘の死を受け入れられない母親が遺体から離れられずにいる場面がありました。あの母親もまた、娘とのいろいろな場面を思い起こしながら、娘の死を「今でもあなたは私の光」と思えるようになっていくのだろうかと思います。

 脳死状態は1950年代に人工呼吸器によって登場しました。人工呼吸器が登場するまでは、脳幹が働かなくなると呼吸が止んで酸素の供給が絶たれるため、心臓の拍動が途絶え、直ちに死を迎えました。しかし心臓は脳の命令がなくても自力で拍動する能力が備わっています。酸素が供給されれば、ある程度は動き続けることができます。

 人工呼吸器登場当時は、この不思議な状態はあまり脚光を浴びることなく、「不可逆昏睡」irreversible comaないし「超昏睡」coma dépasséと呼ばれ、あくまで生きている状態とされました。1967年12月3日、南アのクリスチャン・バーナードのチームが同種心臓移植に挑戦したとき、この不思議な状態に白羽の矢が立ちました。

 どういうことかと言えば、心臓移植は拍動停止後では成功しません。しかし拍動中の心臓を摘出すれば、移植医が殺人罪に問われかねません。そこで遠からず死に至るがいまだ心拍のある状態が着目されたわけです。旧来の三徴候死(心停止、呼吸停止、瞳孔散大・固定)に加えて死の規準とすることが図られました。

 不可逆昏睡は、脳死brain deathと改名され、1980年代以降大半の先進国では人の死の基準とされていきました。日本でも1997年に「臓器移植法」が成立し、本人と家族の同意の下で脳死・臓器移植が始まりました。2010年7月17日から、本人の臓器提供の意思が不明の場合、家族の承諾で臓器提供が可能になり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になりました。それと同時に、家族もまた前よりも葛藤を抱える状態に直面する可能性が出てきたわけです。

 脳死判定の難しさも言われています。現在の脳死判定は「竹内基準」が使われています。4番目に行われる脳波検査による「平坦脳波」という状態は、頭皮上の電気活動を見るものです。電極を直接脳にあてがって脳の活動そのものを調べるものではありません。深部脳波(頭蓋内脳波)を測定する機器を開発した船橋市立医療センターの唐澤秀治脳神経外科部長らは、開頭手術したくも膜下出血患者ら7症例を対象として、頭皮上脳波と深部脳波の関係を検討しています。それによると「頭皮上脳波が平坦となっても深部脳波は必ずしも平坦ではない。脳の電気活動が弱ければ、その活動は厚い頭蓋骨と頭皮を通って頭皮上までは到達しないと考えられる」と結論されています。

 とすると、5番目に行う「自発呼吸の停止を診断する無呼吸テスト」は、非常に危険なものです。救命の現場で行われる臨床的脳死診断では、してはならないとされています。なぜなら、10分程度人工呼吸器を止めることは、守るべき脳の状態をさらに悪化させる可能性だけでなく、心停止すらもたらしかねないからです。

 脳死・臓器移植の問題は、そこで行われる医療の実態を知ると同時に、私たちの死者の看取りの問題と併せて考えていかなければならないことだと思います。 

h-miya@concerto.plala.or.jp