宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

声上げる大切さ、声を拾う大切さ

 安田純平さんの解放後、ネットで「自己責任論」が出て、それに対するジャーナリストからの「安田さん擁護」が続々出て来ているようです。この自己責任論、かつてイラクで日本人が3人拉致されて、後に解放されたときにも出ました。2012年にシリア内線を取材中の山本美香さんが凶弾に倒れたときは、自己責任論は出なかったと思います。これは彼女が死んでしまって、「迷惑」をかけなかったからでしょうか? でも誰に対して?

 なぜジャーナリストが、それもフリーのジャーナリストが紛争地域の取材に入るのか。大手のマスコミ各社は、危ないからと社員のジャーナリストは行かせないとも聞きます。情報を取ろうとすると、誰かが入らざるを得ない。そこへ足を踏み入れる人は、いろいろな背景や考え方があると思います。恐らく、そこの部分への共感がないとつい、自己責任論に流れるのかもしれません。ただ、それは別の問題なのだと思います。共感する、しないとは別に、情報を取る必要性をどう理解するか、ということなのではないでしょうか。

 今年度のノーベル平和賞(10月5日発表)は、デニ・ムクウェゲ(コンゴ人医師)さんと、ナディア・ムラド(イラクの人権活動家)さんに与えられました。そして9月30日に投開票された沖縄県知事選では、前衆院議員の玉城デニーさんが、故翁長雄志知事の遺志を継ぐ形で当選しました。どちらの活動も道は険しい。それでも「声を上げる大切さ」を示しています。

 歴史の中で幸運にも実現された民主主義。その根っこには、民主主義への信念に基づいて、起こっていることを語ること、自らの信念を語り続けることの大切さがあります。ジャーナリストは、紛争地帯で起こっていることを、語れない人たちの声を、代わりに伝えるのではないでしょうか。民主主義を信じる人たちが声をあげなくなったとき、民主主義は簡単に息の根を止めれれる。そう思います。 

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