宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

生き切ること

 

 生き切るとはどういうことなのでしょう。東日本大震災のときの遺体処理のドキュメンタリー的映画『遺体』を授業で観たとき、若い人が亡くなった場面で、「でも生き切ったのだと思います」と私が述べたことに、納得できない学生が何人もいました。納得できない気持ちはよく分かりますし、若くして死ぬことがいいことだとは思いません。

 感情的には若い人の死は、確かに納得が行かないし、怒りさえ感じます。でも平均寿命まで生きれば、納得がいくのかというと、どうもそうでもなさそうです。身内の死は、幾つであってもやはり納得できない気がします。若い人の死の場合、他人であっても納得できないということはあると思います。この「死」を受け入れられないというのは、どういうことなのでしょうか。

 「瞬間」が「永遠」である、と捉えれば、断ち切られたように見える生も、一瞬一瞬に完成しているとも言えます。「今」以外に存在するものはないし、「今」しか生きられないのに、それがずっと続くように思うのが、私たちです。これは煩悩なのでしょう。平均寿命は数値化できますが、でも自分の寿命は分からない。これは恐ろしいと言えば恐ろしいですが、それが生命の本来の在り方でもあります。生まれてきたことの奇跡、生き続けていることの奇跡。そう思うと、その生命がどこで途絶えても、「よくぞ今まで生き切られましたね」という思いがするのです。

 残された者の悲しみの深さは、そういう生命の奇跡が消えたことが呼び起こす衝撃ではないでしょうか。

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      久しぶりに花を活けました。蓮の実、モンステラ、薔薇、柳 

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