宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

地方新聞の役割

 大型台風21号は徳島県南部に上陸した後、瀬戸内海を抜け兵庫県に再上陸して、スピードを上げて日本海に抜ける見込みのようです。ここでも風が結構吹いています。

 1日に高校の同窓会の総会があり、茨城新聞社代表取締役小田部卓さんに、講演して頂きました。地方新聞の役割について主に話されましたが、3.11のときに全電源喪失の中、発刊し続け、また配達し続けた大変な経験について話してくださいました。お話を伺いながら、あのときの記憶が蘇ってきました。

 私たち日本における日常生活は、大きな災害などがない限り、電気や水、ガソリンに不足するということはありません。公共交通機関を使った移動もスムーズです。便利で快適な生活は、たとえば24時間営業のコンビニエンスストアなどに象徴されます。しかし、一旦そのシステムが動かなくなったとき、私たちの現代の生活のひ弱さが露呈します。

 井戸があった時代だったら、水道が止まっても困りませんでした。薪でお風呂を沸かしていた時代(私の子どもの頃、母の実家ではそうでした)なら、ガスや電気が止まってもお風呂に入れました。汲み取り式のトイレの時代、水がなくてもトイレは使えました。今更後戻りはできませんが、生活の原点に気づかされる経験でした。

 茨城新聞社も全電源消失の中、発行し続け、配達し続けることで地方新聞の原点を体験したそうです。茨城新聞は、1891年に「いはらき」という題号で創刊され、今年で127年を迎えます。1942年に県内の地方紙を経営統合して「茨城新聞」と題号を変更し、1947年に「いはらき」に戻しています。そして1991年に「いはらき」から再び「茨城新聞」に変更されました。

 1923年(大正12)の関東大震災でも、1945年(昭和20)の水戸の大空襲でも新聞発行を続けてきた歴史を持ち、3.11のときも「紙齢を絶やすな」を合言葉に社員一同不眠不休で頑張ったそうです。それまでも頑張ってきたが、活を入れられた経験だったとも、小田部社長は語られていました。ともかく生活情報のみの掲載の一週間だったそうですが、新聞入手の要望が殺到し、情報の伝え方についても学んだ経験だったと言います。

 地方新聞は地方の情報の宝庫であり、まずはその基本情報を発信することと、地元への愛着を生みだせるような「木鐸たり得るか」どうかが、問われている気がします。  

 

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