宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「存在する」エネルギーのコントロール

 久しぶりに上野公園を歩きました。蒸し暑いにもかかわらず、人の多かったこと。それも子どものなんと多かったことか。夏休み企画が目白押しのせいもありますが、少子化社会ということを忘れます。子どもはエネルギーを感じさせますが、これはエネルギ―がコントロールされていない状態、そのままに近い状態でもあります。

 人間の状態は、「いる」ことから「する」ことへと移り、やがてまた「いる」ことに帰っていく、という人がいます。その通りだなと思うのですが、それをエネルギーのコントロールということから考えるとどうなるのかと思っています。

 年をとっていくと、エネルギー量も落ちますが、その前にエネルギーを放散させないやり方を身に付けて落ち着くことを覚えます。今働いてる場所は高齢者を中心とした施設で、スタッフは若い人が多いですが、子どものいる場所とはエネルギーの溢れ方が違っています。

 子どもが育って行くというのは、その存在自体が持っているエネルギーをコントロールする力を身に付けていくことでもあります。何事かを成し遂げること(すること)へとエネルギーを集中させていくやり方を身に付けていくことが、大人になっていくということでもあります。完全に身に付けることは難しく、残りの部分は理性的に(周りの目を気にしてとか、仕事上の関係に配慮してとか)コントロールしているわけです。

 これが認知症状が出てくると、理性的な部分から崩れていきます。エネルギーが枯れて来ていて、コントロールする必要のない人もいます。しかし中には、まだかなりエネルギーが残っていて、そのコントロールが上手くできない人も出てきます。子どもの状態へ帰っていくとも言えます。子どもと違って、騒がないよう頼んだり、叱ったりが通用しない。まあ、しばらくはそのまま様子を見るしかないのですが、他の人たちが不穏になります。これは「社会的には」困った事態、どう対応していったらいいのか、頭を悩ますことになります。

h-miya@concerto.plala.or.jp