宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

全人的痛みへのケアとホリスティック看護

 昨日、今日と大分凌ぎ易い日が続いています。台風の影響のようですが、土日はお天気荒れそうです。23日に埼玉県熊谷市で、5年ぶりに国内最高記録を更新して、午後2時16分、41.1度を記録しました。2年後の東京オリンピックでの暑さ対策が急がれます。この暑さ、災害レベルですから、テロ対策も大変ですが、待ったなしです。でも、うんざりしますね。また週明けから暑くなりそうで、いつまで暑いのでしょう。

 さて、ホスピス・緩和ケアの考え方は、痛みを単に身体的なものとは捉えません。痛みには精神的なもの(自分の状況への絶望、治療限界への怒り、死への恐怖感)、社会的なもの(役割り喪失感、家族に迷惑をかけている思い、経済的不安、社会からの孤立感や疎外感)、スピリチュアルなもの(なぜ自分なのか、何の罰なのか、超越的なものへの疑問や怒り、人生の意味への疑問)のようなものが考えられます。これらに対処するのが、全人的痛みへのケアなのです。そしてそこで重要なことは、ケアする人が、ケアされる人と最期まで共にいるということを、伝え続けることだと言われます。

 近代の自立と自律を掲げた個人は、死に対しても自己決定権を主張し、積極的安楽死としての尊厳ある死を主張しました。しかしホスピス・緩和ケアの思想は、死に逝く人を最期まで支え、その看取りの経験の中で、死への過程を観て取り、死に逝く人から教えてもらうというものです。これは、関係性の中に生きる人間の最期の共同作業でもあります。

 看護とはそもそも病人を全人的に観て取ることから始まります。現代においてわざわざ「ホリスティック」看護がいわれる背景には、特定病因論の主流化とそれへの反省があります。ホリスティック看護とは、全人的看護のことで、心身両面からアプローチする看護であり、自然と共存しつつ生きようとする姿勢が基本にあります。

 特定病因論の考え方とは、病気は疾患を持つことであって、疾患は特定の原因に寄って引き起こされる、というものです。近代西洋医学の成功は、この考え方に従って様々な治療が施され、伝染病などに威力を発揮したことにあります。バイオメディスンの普遍性を志向する手法はまさにこの路線の徹底です。

 しかし、寿命の延びにより、慢性疾患患者が増え、生活習慣病にはこのような手法だけでは対応できなくなりました。病気の根治ではなく、病気と付き合ってどう生きるか、が課題となったのです。そこで重要なことは、病気を持ちながらも生活する人として、全人的に患者を観ていく視点なのです。

 ここで人間は心身の総合体として、身体的・精神的・社会的・霊的(スピリチュアル)存在として捉えられます。個人自体が様々な層の関係性のバランスの中で成り立っている。心身二元論の思想では、人間の本質は精神的なものであり、身体は「精神としての私」の所有物になります。近代の個人主義における自由は、この精神的私が主体になっていると言っていいと思います。

 ホスピス・緩和ケアとは、本来の看護の在り様の徹底であり、関係性の中に居る人間として最期まで生き切ることを、全人的にケアすることを目指しています。近現代の自立(自律)した個人という人間観は、安楽死としての死の自己決定権を目指しました。しかし、関係性の中に居る個人という人間観は、全人的ケアの中で生き切ること、看取られることで死への過程を教える残すという在り方を目指しました。

 死という人間の生の極限をどう考えるか、それをケアの視点で考えるとき、人間観の差異としても浮かび上がってきます。

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