宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

人間は機械として語れるのか

 今日は26日です。何だかあっという間に半年が過ぎていく感じです。毎日のノルマをこなしているうちに6月が終わってしまいます。13日に八幡宮の紫陽花を見に行きましたが、19日にも他の利用者さんたちと八幡宮の紫陽花を見に行きました。明日からお天気が崩れるというので、今日しかないと出かけましたが、お天気もよく、道路も空いていて、八幡宮も13日より空いていました。スタッフも含め、みんなとっても気分よく、足取り軽く帰って来ました。 

 気分が軽いとからだも心地よく動きます。こういうとき、こころとからだは同じリズムを共有しているなあと感じます。ところで、心身二元論の分断を乗り越えて、というとき、精神とからだを共に機械としてとらえる人間機械論が思い出されます。デカルト自身は、からだは機械として捉えることができても、人間には精神があるので機械ではないと考えていました。さてこの人間機械論を考えるとき、福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)の生命現象における「時間」の意味という視点を思い出します。そして福岡さんは、「生命とは、テレビのような機械ではない」と言います。

 これが語られている文脈はこういうものです。福岡さんが所属する研究チームは細胞膜のダイナミズムを司るたんぱく質を探し、膵臓細胞に多数存在するものと仮定して、突出して多く存在するたんぱく質にGP2という名称を与えました。その特性を調べるために、GP2遺伝子を特定しその全アミノ酸配列をアメリカ細胞生物学会で発表します。次に、現実にどんな働きをしているかを調べるための実験を開始。

 例えば機械のパーツの働きを調べるのにはどうすればいいか。そのパーツを取去って、その機械がどうなるかを試せばいい。同じことを、遺伝子レベルでもできると推測し、彼らはGP2が存在しな状態を作り出して、膵臓が大パニックに陥ることを示せばいいと考えました。そして実際に、GP2ノックアウトマウスを誕生させることに成功しました。はやる心を押さえてマウスの細胞を調べた福岡さんたちは、GP2ノックアウトマウスの細胞があらゆる意味で、まったく正常そのものであることを発見します。

 混乱と落胆、そしてどう解釈したらいいのか。遺伝子をノックアウトしたにもかかわらず不都合は起こらない。これは狂牛病プリオンタンバク質の役割の実験でも起こっていました。狂牛病にかかるとプリオンタンパク質が異常型になり、脳細胞が障害を受けます。では正常型プリオンタンパク質は脳細胞でどのような役割を持っているのか。これが分かれば、狂牛病発症の解明につながるのではないかと考えられました。そこで遺伝子ノックアウト実験が開始されました。

 牛でやるのは難しいのでマウスを使って、プリオンタンパク質遺伝子をノックアウトしたマウスを、スイスの研究グループが作り出しました。狂牛病になるのは、病気によって正常なプリオンタンパク質が本来の機能を失うためではないか、という仮説が立てられたからです。ところが、プリオンタンパク質をノックアウトしたマウスは正常に誕生し、その後も健康そのもの、何の不都合もみつかりませんでした。

 この話には続きがあります。プリオンタンパク質ノックアウトマウスに、≪不完全な≫プリオンタンパク質遺伝子を戻してみたらどうなったか、という。こういうのを遺伝子ノックイン実験と呼ぶそうです。生まれてしばらくは何事もありませんでしたが、次第に歩行が乱れ、体が震え(運動を司る脳の障害に起因)、やがて衰弱して死んでしまいました。

 プリオンタンパク質を完全に欠損したマウスは異常にはなりません。つまりこのピースは、なければないで特に不都合を起こすこともないのです。しかし不完全なピースは、マウスに致命的な異常をもたらしてしまいました。こういうことは機械では考えられません。あるピースを完全に取り去っても機械は正常に作動するが、部分的に戻したら動かないなんてあるのでしょうか。むしろその逆でしょう。ピースの部分的な損傷は、機械を誤作動させるにしても動きはしますが、完全にあるピースを壊してしまったら、機械は動かないでしょう。

 だから生命を機械と考えるのは間違っている、生命にとって「時間」という要因は基本的なものなのだと。「私たちの生命は、受精卵が成立したその瞬間から行動が開始される。それは時間軸に沿って流れる、後戻りできない一方向のプロセスである」(263頁)。生命現象は動的平衡系であると、福岡さんは言います。生命現象とは、致命的欠陥でない限り、欠損を調整するシステムなのだというのです。

 「機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜きとったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。

 生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる」(271頁)

 「生命とは何か」について分子生物学者の辿り着いた見解は、「生存の一回性」という宗教的・哲学的テーマを遺伝子レベルから語れることを示していて、この本を読んだときの興奮を思い出します。

 分子生物学や大脳生理学の進展が、精神現象の物質的基盤を明確にしつつあります。そして精神を物質現象に還元することで、人間機械論が成功を収めつつあると言われています。しかし、物質的現象に基盤を持つということは、精神=物質ということではありません。また、生命という物質的現象自体、機械の物質的現象とは異なっていると考えられるわけですから、たとえ精神を物質現象に還元できたとしても、人間機械論は成り立たないと言えるでしょう。

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