宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

自己決定権

 今日は仕事で常陸大宮市にいました。2時前くらいに竜巻警報が出て、3時過ぎに黒雲が沸いてきて、ざぁーと一雨降りました。4時前に勝田駅に着いたときには、晴れていました。局所的な天候の変化の激しさに驚かされました。

 さて、医療や介護の現場では、当人の自己決定権(この言葉をストレートに使うことは少ないと思います)が重視されるようになっています。要は当人がどうしたいかということですが、何に対してか。身体や生命に関わる部分でのQOL(生活の質、生命の質)およびSOL(生命の尊厳)をめぐって、と取りあえず言えると思います。

 患者や家族の意思が重視され、患者の自己決定権を治療における基本原理とするという機運を作っていくきっかけとなったのは、1976年にアメリカ、ニュージャージー州最高裁判所で出された、カレン・アン・クインランさんの植物状態への判決でした。カレンさんは21歳のとき(1975年4月)、友人の誕生パーティで意識を失い、昏睡状態から植物状態になりました。回復の見込みがないことを知ったカレンさんの両親は、人工呼吸器の取り外しを医師と病院側に頼みましたが、聞き入れられませんでした。そこで両親は裁判に訴え、最高裁判所は人工呼吸器の取り外しを認めたのです。しかし、人工呼吸器を外した後、カレンさんは自力呼吸を回復して、肺炎で亡くなるまで9年間植物状態のまま生きました。

 では自己決定権とはどのようなものでしょうか。日本の生命倫理英米流の考え方が強いのですが、そこでの自己決定権の考え方は次のようにまとめられます。①成人で判断能力のあるものは、②身体と生命の質を含む「自己もの」について、③他人に危害を加えないかぎり、④たとえ当人にとって理性的にみて不合理な結果になろうとも、⑤自己決定の権利を持ち、自己決定に必要な情報の告知を受ける権利がある。

 歴史的に自己決定権の成立には、ナチスに代表される人体実験やゴールトンの優性思想の広がりへの反省と、医療の進歩には治験が欠かせないという側面との葛藤があり、その解決策が自己決定権でした。自分の福利に一番敏感なのは被験者あるいは患者であると考えるからです。もう一つは、アメリカの1960年代の黒人の公民権運動に刺激されて高まった「患者の人権運動」の流れです。医師のパターナリズム(家父長主義、温情的干渉主義)批判がなされると同時に、弁護士が煽る形での医療訴訟が急増します。そして、裁判に当たって患者の意志の尊重と人権の保護についての基準としてニュールンベルク倫理綱領が注目されました。

 優生思想の極みに出てきたのが、ナチス・ドイツの優生政策でしたが、それを裁いたニューㇽンベルク医療裁判の成果が、ニューㇽンベルク倫理綱領です。この流れは、現代のインフォームド・コンセントの法理や医療現場での実践に繋がっています。インフォームド・コンセントは、患者の理解に基づく患者の選択権と自己決定権の行使によって成立します。

 また、自己決定権は医療側の自律尊重原理に呼応しています。<自律>は自己統治、自由権、プライヴァシー、個人的選択、自己の意思に従う自由、自己の行動を起こすこと、自ら人格であると言う多様な観念の集合体に言及するものです。自律はギリシア語のautos(「自己」)とnomos(「規則」、「支配」、もしくは「法律」)に由来します。ギリシア都市国家における自己支配、自己統治をさすために用いられました。市民たちは法を課されるのでなく、法を作りました。

  政治的な自己支配を個人による自己統治へと拡張したのが、個人的自律の核心的理念です。自律的人間は自由に自己選択し、かつ情報を得た上での計画に従って行為します。あたかも真に独立した政府が、その領土や政策を支配すべく、行為するのと同じなのです。

 自律的行為者を尊重するには、二つの側面があります。第1に、その人が自己の価値観に基づいて自己の見解を持つ権利、選択する権利、行為する権利を含め、その人の能力や見方を認めるという心的態度を取ります。第2に、その人を自律的に行為させる、あるいは自律的に行為しうるように扱うという尊重する行為です。

 この自己決定権は、それを適切に行使するための条件として、「情報提供と理解」という問題があります。これについてはまた考えることにしたいと思います。

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