宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

心と体

 疲れが取れないなぁと感じます。心が疲れているのか、体が疲れているのか、それともそんなに単純な二分法ではないのでしょうか。

 心と体が連動していることは、日常的にごく当たり前のことです。しかし、心と体は完全に一体化して同じものかというと、また話は別です。例えば体は疲れているのに、神経の緊張が続いていると、気がつかないまま無理をしてしまいます。心の側が、主導権を握っているのでしょうか。この場合、無理やりにでも休息を取らないと、伸びきったゴム状態が続いて、体も心も疲れ果ててしまいます。

 体が疲れていて、気分が乗らないということがあります。元気が出ない。ただこの段階だと、元気は出ませんが、悲観的ものの見方や感じ方が出てくるわけではありません。ただ、疲れてるなぁという感じ。体を心がサーチできています。心はセンサーなのでしょうか。頭を使うという働きは、一見、心の作用のように考えられますが、少し違う気もします。頭を使う、認知の働きは脳の機能ですが、心を使うのはもっとトータルな機能なのではないでしょうか。

 人間関係や仕事の失敗で心が疲れているとき、体を動かすことで解消することもあります。心は疲れても、体には基本直接影響はないということでしょうか。心が疲れて、眠れなくなると体に当然影響が出ますが、眠れている限り、回復していきます。

  心とは何か。デカルトは「思うこと」「感じること」を心と捉えていたと思います。正確には「疑う」という能動性、とも言われます。「疑う」ことで、感覚や想像力を離れた知性的認識に至り、心が体に縛られなくなるというのです。疑うことで自由を経験する。

 すべてを疑うことで取りだされた「心」の実在の直観は、体の実在に関しては間接的に取り戻すという手続きを必要としました。体はいずれ消滅します。そのとき「心」は?

h-miya@concerto.plala.or.jp