24日参加した「千葉・茨城教授学研究の会」で、立原道造の詩「のちのおもいに」(立原道造第一詩集『萱草に寄す』)が取り上げられました。抒情的で美しいこの詩は、細かく読んでいくとよく分かりませんでした。ただ「のちのおもいに」はどんな思いかという問いかけと共に、百人一首第43番の「逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」(権中納言 敦忠)に言及されたとき、ああこの「のちの心に くらぶれば 」はよく分かるなあと思いました。
参加していた人たちは、それぞれにこの「のちの心に くらぶれば 」を経験されていると思います。本当の経験をする前に、それについて思っていたことのなんと軽かったことか、という。私は「自己決定権」のことを思い出します。自己決定権についてはいろいろ考え、その難しさや問題点も分かっていると思っていました。でも、父に代わって、手術の是非を考え、その代理意思決定を行った後、本当にいろいろなことを思い考え続けました。
今は「のちの心に くらぶれば 」に満ちているのが、生きるということなのだろうと思っています。
3月28日 旧県庁の桜