宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

アレグリの『ミゼレーレ』

 グレゴリオ・アレグリの9声部の『ミゼレーレ』(1630年作)を聴きました。透明感あふれる荘厳な曲で、聴いていると心が落ち着いてくるア・カぺラ合唱曲です。今、この曲が聴けるのは、もしかするとモーツァルトのお陰かもしれません。

 モーツァルトが1769年から1771年にかけてイタリアに旅行した際、システィーナ礼拝堂で、門外不出の秘曲とされていたグレゴリオ・アレグリ(イタリア人作曲家)の9声部の『ミゼレーレ』(1630年作)を聴き、暗譜で書き記したと言われている曲です。

 『ミゼレーレ』の楽譜は、イギリス人歴史家チャールズ・バーニー博士に手渡され、ロンドンで1771年に出版されました。これにより禁令は撤廃され、後に時のローマ教皇クレメンス14世はモーツァルト少年を召喚し、破門にするのでなく、彼の音楽的才能による神業を称えたと言います。禁令が解かれて以来、現在に至るまで『ミゼレーレ・メイ、デウス』(神よ、我を憐れみたまえ)は歌い継がれる有名な曲になっています。

 モーツァルトは1756年1月27日、ザルツブルク(現オーストリア、当時は神聖ローマ帝国領)に生まれた神童です。父親は、ザルツブルクの宮廷作曲家でヴァイオリニストでした。7人兄弟の末っ子として生まれましたが、他の5人は幼児期に死亡し、残ったのは5歳年上の姉マリーア・アンナとモーツァルトだけでした。

 父レオポルトは息子が天才であることを見抜き、幼少期から音楽教育を与えます。3歳の時からチェンバロを弾き始め、5歳で最初の作曲を行い、11歳ころの作曲譜も発見されています。父と共に音楽家としてザルツブルク大司教の宮廷に仕える一方、モーツァルト親子はウィーン、パリ、ロンドンおよびイタリア各地を何度も演奏旅行しています。これは神童の演奏を披露し、よりよい就職口を得るためでしたが、どこでも成功しませんでした。

 1762年10月に、6歳のモーツァルトはウィーンのシェーンブルン宮殿で、マリア・テレジアの前で演奏します。そのとき、すべって転んだモーツァルトの手を取って起こしてくれた7歳の皇女マリア・アントーニア(のちのマリー・アントワネット)に、「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったという逸話があります。真実かどうかはわかりませんが。また、7歳のモーツァルトの演奏を偶然に聴いたゲーテが、後にそのレベルの高さを評価しています。絵画のラファエロ、文学のシェイクスピアに比すると。モーツァルトの神童ぶりを伝えるものです。

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